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2007年9月10日 (月)

いま、なぜ遠足にこだわるのか 3

 遠足の日の朝。生徒たちの顔がいつもよりうんと輝いているのを見るのはいいものだ。いつも遅刻ばかりしている○○が… ふだん何をやるのもダルそうな△△が… やってくる。「ちょっと遅れるかもわからんけど待って」と□□が律儀にケータイにかけてくる(こいつが遅刻連絡することなど全くないのに…)教師からすれば「たかが遠足」かもしれないけれど、生徒たちは意外なほど「遠足」をたのしみにしているものだ。

 「遠足」という言葉の響きには、何かしらワクワクするところがあります。バーベキュー型遠足は、クラスの親睦を深めるのに手っ取り早い「共食の文化」とでもいえましょうか。生徒の側からすると、新しいクラスに居場所を見つけたい、新しい人間関係をつくって安心したい、それこそ「遠足の目的」だ。

 

 これまでも、HR活動を重視する教師たちは、遠足の班活動や係活動を通してリーダーを育てたり、民主的な活動スタイルの経験を積ませるなど、単に生徒の要求に引きずられた親睦活動だけで終わらない、遠足の教育的意義を追及してきた。

 1年間のHRづくりを見通したとき「春の遠足」でまず親睦を図り、次に「球技大会」そして「体育祭」で関係性の変化・深まりを求め、その上での「文化祭」(2年なら集大成として「修学旅行」も)… と行事には一定のリズムが必要だ。「文化祭の成否は春の遠足の成功にかかっている」と豪語する人もいるが、ケッコー的を射ている言葉だろう。

 「学力低下」が叫ばれて久しいが「授業時数確保」「行事の精選」の大合唱の下、生徒の自主的活動や日々のHR活動等の時間がどんどん追いやられている。「学力低下がたいへんだあー」の陰で「自治力低下」が心配される(教師の自治指導力の低下も)。今こそ、文化祭や体育祭に比べて軽視されがちな、遠足の教育的意義について、あらためて考えたい。

 繁忙の中でも、手抜き・ガス抜き行事化するすることなく、遠足に取り組み、そこで、明るく前進的トーンをつくったクラスは、あとあと、実にたのしいクラスになってるんですよね、これが。(終わり)

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