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2008年9月の投稿

2008年9月28日 (日)

出版情報② なぜか愛媛で

  佐藤さんがペンネームの「航薫平(わたり・くんぺい)」で書いた新著が、毎日新聞の愛媛版で紹介されています。おまかせHR研究会ワークショップの話も載ってます。

< 以下>

信頼

 大阪の公立高校教師の知人から、著書「笑顔の『生徒指導』」(学事出版)が送られてきました。航薫平(わたり・くんぺい)のペンネームで、実話を基に教育雑誌に掲載していたエッセーをまとめたものです。「困難校」と評される高校などで、服装など日常の指導にあたる教師の奮闘ぶりを描いています。

 こんな場面があります。卒業式を翌日に控え、3年生に対する最後の「頭髪指導」です。年によって式で、奇抜な服装や茶髪、ふざけたパフォーマンスが続出したこともありました。学年主任は、たとえ茶髪でもどんな格好でも最後の晴れ姿、全員を式に出席させると宣言します。一方で、もし本当にそうなったら「めちゃめちゃ悲しい気持ち」と付け加えます。そして締めくくります。

 「オマエら、今日までホンマよお頑張ったよなあ。友だちたくさんやめてった中で、やっと手に入れた卒業証書や……。おめでとう。明日は思いっきり胸張って式に出い」当日の朝、生徒指導室には茶髪を黒に染めるスプレーを借りに次々と卒業生が訪れました。

 航さんと出会ったのは大阪の公立中学校です。航さんは研修制度を活用し、国立大の大学院で2年間学んでいるところでした。所属するゼミの指導教授が、教育現場を知る授業の一環としてゼミ生を中学校に派遣していました。かつて荒れていたその学校は、校長や教師の奮闘で、次第に落ち着いた雰囲気になりつつありました。

 はじめのうち、ほとんどのゼミ生は学校に行っても手持ちぶさたで、学校周辺を掃除するなどして時間を過ごしていました。次第に生徒とうち解け、ゼミ生用に用意された1室で、宿題などを指導をするようになりました。しかし、その姿は塾の先生か家庭教師と変わらないように私には映りました。

 現役の高校教師で、生徒指導に長い間かかわってきただけあり、航さんは最初から学校に溶け込み、生徒会活動などについても生徒にアドバイスをしていました。しかし、航さんと他のゼミ生との違いは、単に教師としての技術や経験の差ではないように思えました。

 航さんは、高校生と地域おこしや福祉ボランティアの活動もしていました。卒業生も参加しています。現場で会話を聞いていると、いい関係を築いているのがうかがえました。両者に信頼感があります。卒業式の頭髪指導をした教師は、言葉遣いは荒いものの、普段から生徒一人一人の状況を把握し、言い分もしっかり聞いていました。生徒から一目置かれていたといいます。

 航さんは大阪の高校教師仲間で研究会を作っています。体得した指導法の数々を持ち寄り、これまでにも「教室のピンチをチャンスに変える実践のヒント100連発」(学事出版)などの本にまとめています。

 県南部に妻の実家があり、航さんは夏休みなどに愛媛を訪れています。各地で講演や本を使った実践講習会もしていますが、四国では経験がありません。「縁があればぜひ」とのこと。話を聞きたい教育関係者がいれば、ご紹介します。【松山支局長・小泉健一】

 koizumi‐kenichi@mbx.mainichi.co.jp

毎日新聞 2008年9月15日 地方版

2008年9月27日 (土)

教育見取り図を片手に④

 全国大会問題別分科会のご縁で交流が始まった安達さんから、うれしいお話を教えていただいた。俊子先生がある大学の集中講義で、「教育見取り図」をたたき台にお話しされ、80名以上の学生がこの見取り図から項目を選択してレポートを書くという課題に取り組んでくれたのだという。いま、学生のレポートを項目別に分類をしているそうで、学生の中からは、60年代の見取り図をつくり卒論として取り組みたいとの申し出もあったそうだ。

 そんなふうにたくさんの人の手で「教育見取り図」が豊かにされていくことは、本当にうれしい。

 最初、これをつくりはじめた目的は、09大阪大会を契機に前大阪大会からの10年をふりかえり整理しようということだったが、やがてこの作業がそれにとどまらず、教育を権威ある人々の言説だけで語らない、という意味があることに気づいた。まさに俊子先生がやってくださっているように、ひとりひとりが自分の受けてきた教育とは時代の中でどんなものだったのかを問い、意味づけ、定義づけていく営みなのである。そして、ひとりひとりが発信し交流し検証しあい響きあうことが、民衆の側から教育をとらえ直すこと、教育を受ける権利・学習する権利をとらえ直すことにつながるのだと思う。

 現場のフツーの人たちが自分の言葉で自分たちの人間発達史を編みあげていくことになればすばらしい。

2008年9月24日 (水)

『“はたらく”を学ぶ』Vol.Ⅱ発刊!!

 みなさん、こんにちは。法教育勉強会の首藤です。法律家と教師による法教育授業実践集『“はたらく”を学ぶ』Vol.Ⅱが9月12日に発刊されました。9月13日(土)司法書士さんの全国研修会では170余を越える売り上げを記録したそうで、上々の滑り出しだと思っております。内容はぜひこちらをクリックしてご覧ください。

http://homepage2.nifty.com/osaka-kouseiken/

2008年9月20日 (土)

教育見取り図”を片手に③

さっそく、大学進学率の変遷を調べてみたが、たしかに1990年に25%だった大学進学率は急上昇し、2000年には約40%、そして現在は約45%2005)である。一方、1990年代は中卒生徒数の減少(大阪では1988年から)がはじまり、生徒確保の「サバイバル競争」を展開する私学は、6年制中高一貫、特進コース路線、男女共学化に突き進んだ。塾・予備校もそれに向けて再編されただろう。そして、上級学校への子どもの進学のために経済的文化的に多大なエネルギーを集中する教育家族の広がりがあったことは容易に推測される。

こうして、子ども・若者たちは、その10代を(あるいはそれ以前から)、教育家族や塾・予備校に囲い込まれ、上級学校への通路としての中等教育に押し込められていったことが見えてくる。そして一方の極には、<社会的所属を持たない(拒否してる?)子ども・若者>が確として存在してきた。そのような1990年代~2000年代の構図の中に位置づけていけば、90年代後半から起きてくる少年事件、2000年代になって目立つ若者の「通り魔」的事件の意味が読み取れてくるかもしれない。

竹内先生が指摘した<私たちが忘れてきた、とんでもないこと>とは何か。それを明らかにするためには、1980年代後半からの「いじめ・不登校・ひきこもり・ニート…」と続く潮流が、何を拒否し、あるいは何から排除されてきたのか。そして社会に対してどのような意見表明と対抗的文化を生み出してきたか、を検証していく必要があるだろう。

2008年9月19日 (金)

“教育見取り図”を片手に②

当日の分科会には、全生研大会出席のため参加されなかった竹内先生から、安達夫妻の新著「ひきこもりの若者と生きる 自立をめざすビバハウス7年のあゆみ」(高文研2008)の感想が寄せられていた。その中で竹内先生は、「1980年代の後半からの不登校のひろがり、高校中退、高校卒無業、大学浪人が推定50万から80万人もいるという事態を一時的に解消しようと、文科省は大学入学定員の水増しを公認し、社会的所属をもたない10代~20代の若者の取り込みをはかったが、それが功を奏さなくなったときに、社会的引きこもり、ニート問題が噴出したというのが私の見方です。」と述べている。

そして、高校が生徒を社会に送り出していく学校であるよりも、大学その他の高等教育機関に生徒を送り出す中間学校としての性格を強めてきたなかで、

(1)10代の生徒にたいする福祉的実践―不登校問題、アルバイト問題、高校中退、家族関係の解体、家族の貧困化などなどは、高校生の福祉に関わる問題であり、将来的にいえば、かれらの生存権的問題であること―が高校教育の問題として意識化されてこなかったのではないか。

(2)学校から仕事への移行の問題を考えるとき、生徒のなかに育てあげなければならない最重要課題は、安達さんたちがいうように、人間関係をとりむすぶ力と他者とともに働く力、言い換えれば、人とつながりあって、物事に働きかけて、生きるに値する世界をつくりだしていく力であるが、そのような力を育てる、学校・家庭から実社会への中間的な場が生徒たちに保障されてきただろうか。

 と、問題提起し、「とにかく、本書を読んでの感想は、私たちがとんでもないことを忘れているのではないかということでした。このとんでもないことを取り戻していくことのなかで、もしかしたら私たちは思いがけない未来を見通す地点に立てるかもしれないという思いがしています。」と結んでいる。(つづく)

2008年9月15日 (月)

続:中年教師が感じた現場の10年

5月のブログで掲載してもらった「中年教師が感じた現場の10年」。続編を書いてみます。しばらくおつきあいください。

問題別分科会は、安達俊子さん尚男さん夫妻の報告「ともに育つ 響きあって育つ~北星余市高校とビバハウスをつなぐもの」に出ることになった。きっかけは、運営担当の佐藤さんが、「安達夫妻の報告と井沼さんの“教育見取り図”を絡めたい」という提案だった。

実は、5月の大阪大会第1回実行委員会で、“教育見取り図”はしどろもどろの報告しかできなかったし、また、北星余市の教師からひきこもり青年たちとの共同生活に踏み切った安達さん夫妻の話とどう絡むのかも、全然ピンと来なかった。佐藤さんに押されるままに引き受けたというのが本当のところ。

だが、安達夫妻の話を“教育見取り図”と照らし合わせて聞いていくうち、北星余市からビバハウスへの軌跡が、時代を象徴する子ども・若者をめぐる状況に正面から取り組み、克服を模索してきた歴史そのものであることに気づかされたのだった。たとえば、1980年前後、多くの中学高校の現場が“校内暴力VS力ずくの管理主義”の構図にあった時代、すでに北星余市では、暴力追放宣言が出されていた(1978年)。それは、1ヶ月に及ぶ話し合いの末の、「仲間・友情・団結」という生活の価値を基礎において学校生活を再創造しようという生徒会の決定であった。また、1980年代後半、いじめ自殺・不登校問題に対してカウンセリング的対応が広がった時代に、地域との共同を組織し、いち早く全国から中退生の受け入れた(1988)2000年代にはいり、社会的ひきこもり(2002斎藤)、ニート(2004玄田)が広く知られるようになる前に、北星余市の卒業生の叫びを受けとめてビバハウスは立ち上げられた(2000年)。

私は、安達夫妻の仕事がいつも時代を先取りし、しかも社会の支配的な潮流とは違うかたちで問題の克服を試みてきたことを知った。(つづく)

2008年9月 9日 (火)

秋。文化祭の季節

サトウです。
大阪の文化祭はこれからが本番。わが校も先週末が文化祭でした。

担任になって初めて、T氏撮影の「大阪の文化祭ビデオ」に触発されたわがクラスの
生徒たちが、「ミュージカルをやりたい」と、言い出してくれました。

ミュージカルの指導など当然できないサトウですので、ここは外部講師。
クラスの保護者のなかに、「私、高校時代、某高校の演劇部をたちあげたんですよ」
という方がおられたので、

「おかあさん、何日か仕事休んでください!」

「コーチ」としてお招きし、演出つけてもらいました。

練習不足で、まだまだ完成度は低いところもありましたが、生徒たち、「来年もこのクラスでミュージカルやりたい」。 さすがミュージカル、満足度の高いジャンルだなあ、と実感しました。

秋には、このおかあさんや他の保護者の方たちと一緒に、「ミュージカルビデオをみ
んなでみよう」という保護者会を開こうとか思っています。

▽9月23日(祝)13:00~ ホテルアウィーナ大阪にて
高生研大阪大会第3回実行委員会&ワークショップ
「教師のための発声・表現・演劇講座」

講師:羽鳥三実広氏(元「劇団四季」、「シアタープロジェクト羽鳥」代表)

小中学校の先生も含め、若い先生の参加希望の多い企画です。
定員30名ですので、「当然私は数に入れてくれてるよね」とおっしゃる方も、お早
めに意思表示(申し込み)くださいね。
詳細は大阪高生研HPを参照ください

2008年9月 3日 (水)

高生研大阪大会第3回実行委員会&ワークショップ

「教師のための発声・表現・演劇講座」

講師:羽鳥三実広氏(元「劇団四季」、「シアタープロジェクト羽鳥」代表)


【羽鳥氏プロフィール】
 27年間劇団四季に在籍。研究所主任講師として演技・台詞レッスンを担当。俳優としては「美女と野獣」コッグスワース、「ライオンキング」バンザイ、「ハムレット」オズリックなどが主な代表作。「異国の丘」を浅利氏と共同で執筆。2003年劇団四季を退団。ソロミュージカル「YAKUMO」脚本・作詞・演出。近年のUSJミュージカル演出協力・演技指導。

●日時 2008年9月23日(火・祝)PM13:15~17:00
 (大阪大会実行委員会を含みます。その後、羽鳥氏とともに懇親会あり)
●会場 ホテルアウィーナ大阪
●定員30名(参加申し込みは taikanokaisin@occn.zaq.ne.jp 佐藤まで)
●費用 1000円(高生研大阪大会実行委員は無料)
●服装 軽い体操ができる程度の服装、履き物でお願いします。

 かつて、2005年の東京大会ワークショップを、大阪プロデュースで行った。そのときに講師としてお願いしたのが羽鳥さん。「プロ」としての技術指導とともに、羽鳥さんの教育観や全体をまきこんでの話術、構成についても「めちゃくちゃ楽しく学べた」と大好評。「会場全体を舞台とした全員参加劇を体験できた」という感想続出。

「私が今日学んだことは、腹式のことばはもちろんですが、自分が教員という型にはまりこんだ瞬間に、ことばがその伝えるべき生命力を失うということでした」(50代・男性)
「うわべのことばやその場しのぎ、ごまかしで話をしている自分がいることを受け止め、生徒へ本音で接していきます……教師を続けていく自信は今はありませんが、できる限り持続しようと努力していきます」(20代・女性)

当時のもようは、羽鳥氏「シアタープロジェクト羽鳥」HP内「演劇雑記」に、羽鳥氏自身が感想を込めて記録しておられる。(HPを参照ください)  
  
今、大阪で、満を持して「再演」――。

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