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2010年1月20日 (水)

「盛会御礼!!大阪総会」⑤ 大満足!の桂蝶六師の落語講座(下)

さらに、落語は笑いの芸だが、単に笑わせれば何でもいいというものではない。例えば十席の落語のすべてが爆笑ものだったら味わいのないものになってしまうのであり、人間の情が描かれ、ほっとする関係の中でほのぼのとした笑いが生まれるし、何より人が優しくないと後味のいい笑いにはならないというお話には、何か大切なことをうかがったような気がしました。

  さらには落語と狂言の共通点として、どちらの登場人物も(前者の「旦那・丁稚」、後者の「太郎冠者・次郎冠者」)は固有名詞ではなく普通名詞であり、つまりは市井の人物を庶民の視線で描いているものなのだそうです。これと対照的に、歌舞伎と能で同じ「藤戸」という演目があるが、前者で親切な漁師を切り殺してしまう武士(支配者層)はヒーローとして主人公の扱いだが、後者では殺された猟師やその母親(庶民)が主人公である。こうした違いは、能が室町時代というまだ封建体制が確立する前の時代の産物だからであり、歌舞伎は江戸時代、すでに武士の支配が確立した後に成立したものだということが大きく影響しているとのことでした。

  そして、どんなジャンルにしてもそれを語る側の思いがあり、それぞれの時代を背景として語られるべき必然があるというところに、僕自身の今の問題意識と重なるものがありました。今、現代文を担当していて、評論・小説・詩など、どんなジャンルにせよそこには書いた人の伝えたいものが込められていること、そしてそこには時代ごとの背景やその文章が書かれざるを得なかった必然性があること、さらにはその文章を受け取る私たち一人一人も、現代という時代、この社会においてそれぞれの課題を担った存在であることを伝えたいと考えています。

  懇親会の最後に聞きたかったことがあります。僕自身は、よりプロとして専門性を高めたいという思いと、「教師らしくならない」ために様々な努力をしたいという、一見相反するようなことを意識しています。さまざまなことに対して精力的にチャレンジしておられる蝶六さんも、あるいは同じように、芸の道を究めようという思いと、「落語家らしく小さく収まっちゃおもしろくない」という思いを持っておられるのではないかと感じたものですから。

                 (おわり。牧口誠司)

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