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2010年3月 8日 (月)

【立ち読み】「早蕨」2月号② こんな大阪ワンデートリップ

                今も人々の暮らし息づく寺内町をそぞろ歩き 富田林

(前略)寺院が主導してできた場所が寺内町のほとんどだが、富田林は例外だ。元禄年間(1558~1561)一向宗の中でも有力な興(こう)興正寺(しょうじ)正寺第16世門主・証(しょう)証秀(しゅう)秀上人が「富田の芝」と呼ばれていた荒れ地を銭百貫文で買い取り、興正寺別院を建立する。そこを中心に近隣千カ村の有力庄屋「八人衆」が町の開発を行い、合議制で自治が営まれていた。

 富田林は戦国時代に形成された都市なので、石川の河岸段丘をうまく利用し、竹藪や石垣に築かれた土井に囲まれていた。まちなみは東西6筋、南北7町に整然と区割りされ、街路を直行させずわざと曲げて見通しを妨げる「あて曲げ」や、防火を兼ねた小路である「用心堀」なども残っている。

 江戸期に酒造業が発展、河内木綿の問屋も集まって商都となり、寺内町の隆盛は明治以降も続く。現存する建築物からもその繁栄ぶりがうかがえる。

 近鉄長野線富田林駅を降り、南へ5分ほど歩くと、寺内町のまちなみ保存地区に入る。狭い道端に沿って大きな町家が軒を並べて建ち、時代劇の世界に来たような気分だ。中でも歴史的な景観が最も味わえるのは、城之門(じょうのもん)城之門筋(すじ)筋。名の由来は、桃山城の門の一つを移築した興正寺別院の表門から。「日本の道百選」にも選ばれた。

 じっくりと見ていくと、建築物それぞれに趣が異なる。例えば二階の明かり取りと風通しのための「虫籠窓」(むしこまど)、時代ごとの形の移り変わりが見てとれる。釜屋(台所)の上の「煙出し」、屋根に備えつけた防犯用の「忍返し」(しのびがえし)…ここは町家建築の博物館だ。(以下略)
                               (中村貴彦)

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