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2010年5月26日 (水)

充実の5月例会「ワークショップ」④最終回

 さて、ワークショップ報告最終回です。今回のワークショップを通じて印象に残っているのは、山野さんの「長野さんのケースは、ケースワーカーが入っていたらもっとうまくいっていたかもしれない」という言葉です。これは、私と山野さんとの間のやりとりの言葉ですが、なるほどそうだったろうなと思います。特にこの家庭は生活保護を受給していましたので、学校からお願いしてケースワーカーから働きかけてもらうという手もあったと思います。そうすれば、あの場面この場面で、学校はもっと効果的な対応ができたのではないかと思われます。その意味でも、学校と専門家の協働はこれからどんどん追求されるべきだと思いました。

 それと、貧困の連鎖を生徒の代で断ち切るためにも、学校だけでこうした問題を引き受けることはもはや不可能だという実感です。この生徒はとても自分の人生に前向きです。自分の措かれている状況からはい上がりたいという気持ちが強いのだと思います。そういう彼を、宿命的な感覚で自らを認識させたり、競争主義的価値観・自己責任論で追い立てたくはないと思いつつ、「がんばれ」「がんばれ」と言ってしまいがちです
 家庭訪問に行ったさいにかいま見たこの母親と彼の生活現実はとてもそういう「がんばれ」では解消しきれない重たいもので、私の底のしれた経験に基づく浅はかな言葉は、彼の心には届いてこななかったのだろうなあと思います。ましてや、精神的に病んでいると思われるお母さんにも通じていなかったでしょう。「生徒にとっての本当に必要な学び」や「教え方・学び方」に立った授業で学習権を保障し、生存権へとつなげていくとりくみが必要だと思います。こうした意味でも福祉の視点にたった協働・共同が必要だと思います。

 最近読んだ本にあったのですが、福祉の福とは「幸せ」を意味し、福祉の祉は「神からさずかる幸福」を示すと言います。福祉の国、スウェーデンでは、「オムソーリ」という言葉があり、それは英語では「ソーシャルサービス」と訳されますが、社会福祉よりも幅広い医療サービスを含み、そして教育サービスもこの「オムソーリ」に含まれるそうです。そして、このオムソーリの原義は「悲しみのわかちあい」ということなのだそうです。(神野直彦 『「分かち合い」の経済学』岩波新書)「・・・悲しみを分かち合えば、悲しみをかかえている人は癒され、幸福になる。悲しみを分かち合った人も幸福になる」と言います。そこに福祉の原点があるのかもしれません。この生徒やこのお母さんの悲しみ(あるいは喜び)・・・どこまで思いを致せていたか・・・と思ったりしています。

 私自身、今は元気に登校している生徒を見てほっとしているとともに、私の視野から消えていったこのお母さんは今、どうしているのか、時々ふっと思い出すことがあります。実はこのお
母さんにこそ、もっと手厚い福祉の手がさしのべられるべきではなかったか、実は、ワークショップをしていてその思いを強く持ったのも事実です。しかし、そこは学校ではなかなか引き受けられない課題ではありますが・・・。

 5月例会。時宜に適ったとても有意義な学びでした。(おわり)

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