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2011年3月17日 (木)

【高生研&全生研コラボKINKIゼミ報告】全体会シンポジウム「先生、私の“生きづらさ”が見えますか?」(下)

雨宮処凛氏の著書を読んだ生徒の感想文について聞いたり、これまでの嵯峨山先生の実践記録を読んだりすると、T高校での学びが、生徒が生きづらさを語る鍵なのかなと感じます。生徒が突如自らの窮状を語り始めた背景には、「『このクラスでは何を言っても受け入れられる』という安心感と『貧困は自己責任じゃない』という、学習で育ってきた社会認識があるのではないか」(『高校生活指導』183号、37頁)と嵯峨山先生自身が書かれていたように、安心感と社会認識の両方が必要だと感じます。

ともすれば「なんでも言い合える」というクラスの雰囲気や人間関係だけに焦点を当てがちですが、生きづらさの背景にある社会状況や制度を理解すること、自分や親が悪いのではないという認識を育てること、社会を変革していく主体者に育てるという営みに着目する必要があります。

同時に、小学校の特に低中学年の教師はまず信頼できる大人になること、「言ってもいいな」と子どもが思える大人であることだと細田先生(小学校)が主張されていたように、子どもの発達課題にみあった手だてが必要だと思います。

クラスの人間関係づくりにだけ焦点を当てると、藤木先生の危惧(生きづらさを語れない子どもは、「語れる仲間になったと思っている雰囲気」のなかで苦しまないか、彼らをもっと追い込んでしまわないか)が、現実になってしまうと感じ、どきりとしました。
            

                                         (平田。おわり)

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