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2011年3月16日 (水)

【高生研&全生研コラボKINKIゼミ報告】全体会シンポジウム「先生、私の“生きづらさ”が見えますか?」(上)

3月5・6日に開催された「高生研&全生研KINKI教育ゼミナール2011」に参加しました。ここでは、一日目の全体会シンポジウム「先生、私の“生きづらさ”が見えますか?」での議論、特に、子どもが生きづらさを語るということについて考えたことを書かせていただきます。
 
 藤木先生(中学校)が、子どもを縦軸(成育史)と横軸(今ある他者関係)でとらえること、子ども自身に縦軸を語れというのは難しいと報告の冒頭で話されました。続く嵯峨山先生(高校)は、ご自身の実践をもとに、まず縦軸を生徒に語らせることから横軸をつなぎあわせていくこと、もっている生きづらさを言語化することの必要性を主張されました。

 フロアからの質問を受けての討議でも、子どもが生きづらさを語ることは難しいのかが議論の中心になったと思います。なぜ嵯峨山先生のクラスの生徒たちは語れるのか。一つは、藤木先生がおっしゃるように、高校入試という自分と向き合う経験をしていることが大きいかもしれません。また、嵯峨山先生の同僚の先生がおっしゃったように、千代田には自分の過去を語るにいたるきっかけがたくさん用意されているということ、語っても安心できる空間があること、それまでの生き方を整理し今後どう生きていくかを語る助けをする教師たちがいること、という契機と信頼できる他者がいるからかもしれません。千代田は学びの問題として展開している、それが語りやすさをつくっているのではないかという船越先生のコメントにも共感しました。

(平田。つづきます)

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