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2011年5月13日 (金)

「ゆとり教育」の本当のねらいは何だったのか。

いま、ゼミで『希望をつむぐ学力』(久冨善之・田中孝彦編著、2005年)を読んでいます。

 先週は、そのなかの、ジャーナリスト斎藤貴男氏の「語っているのはだれか、語られていないことは何か――学力低下論争とマスコミ・ジャーナリズム」を読んで議論しました。

 「学力低下論争」に対するジャーナリズムのあり方を問う論考ですが、議論の中心は、その点と、「ゆとり教育」の捉え方になりました。

私は二年前から大学で教壇に立ち、感じていることがあります。それは、今の学生たちは「ゆとり世代」と呼ばれ、「脱ゆとり」といわれる新学習指導要領の内容を知るにつれて、「ゆとり世代」といわれる自分たちが否定されているかのように感じてしまう、ということです。

「ゆとり教育」の本当のねらいは何だったのか。

それを考えるためには、本書でも引用されている、斎藤氏が『機会不平等』で描いた、有名な三浦朱門発言が大事だと思います。

「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。」

この発言について、「できる子をのばすこと自体は悪くない」「でも、それだったら学校じゃなくていい」「三浦発言は、完全に子どもを見捨てている。がんばる子を支援しないと」「三浦の描く世界で生き残ったエリートが国家を考えられるのか。いわゆる『できない子』とも一緒に学ぶのが大切なのでは。」といった意見がでてきました。

学校とは何か、学校で他者と学ぶ意味は何なのか、そういった根本的な問題を考えることになりました。私は、この三浦発言や、斎藤論文の最後の方に引用されているホリエモン発言に「社会ダーウィニズム」を感じて空恐ろしくなります。

マスコミに振り回されないリテラシーをつけることも授業の大切な役割の一つだとまた実感しました。(平田)

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