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2011年6月 1日 (水)

4月例会 研究者の方に多数来ていただきました③

 ホスト校、和歌山大学の越野先生よりいただきました、「感想」です。

 昨年度、やはり和歌山大で行われた井沼先生の実践報告以来、大阪高生研の催しには2度目の参加となりました。思想史を専門としており、これまで学校現場の実践にはほとんど触れてきていない私にとっては貴重な場となっております。部外者にも関わらず温かく迎えていただき感謝しております。

 さて、私は学校制度の創設期にまで遡って、「なぜ学校制度がつくられたのか」(その理由は一つではないのですが)を明らかにし、その後の歴史的経緯のなかで「どのような人々の/どのような要求が」学校に流れ込んできたのか、それがどのような教育理念と結びついていったのか、それらを明らかにするということを自分の研究の柱としています。近年徐々に技術主義化していく(ように見える)学校現場において、「なんのために」「どのような人間を」育てるのか、そのためにどのような実践が求められるのかを、改めて問い、論議し、共有できる一致点を見出していくことが重要な課題であるように思っています。

 その意味で今回の例会でご報告いただいた佐藤先生、四反田先生の実践は、生徒を「おさえる」ことと「伸ばす」ことの相克を止揚しようとする実践と私は捉えましたが、そこで目的としてイメージされているはずの生徒像について、実践と往還しながらあらためて意識的に議論していくという課題があるのではないかと感じました。

  私はそれを「市民」というキーワードで(学校という社会における市民/卒業後、社会に出て行った後の市民:という二つの意味で)捉えましたが、そもそも「市民」という言葉には歴史的に①現状の秩序に従順な(体制内化された)存在という意味と②基本的諸権利、なかでも政治に参加し、社会を変えていく権利をもつ主体という意味とが、矛盾を孕みながら絡みついています。現代において高校生に求められる「市民性」がこのどちらなのか(あるいは両者なのか/両者だとしたら段階的に捉えるべきものなのか/その場合両者の矛盾はどのように把握されるべきなのか)、そのためにどのような生徒指導のあり方が求められるのか、そういったところの議論を、例会の場でももう少ししたかったなぁ、という感想をもちました。

もちろん、そういう議論は他の場で十分にされているのかも知れませんが、だとしたらそこでどんな議論がなされたのか、またあらためてお話を聞かせていただく機会があれば幸いに存じます。ぜひまた集まりのある際にはお誘い下さい。

  (越野 章史)

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