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2011年10月21日 (金)

【立ち読み】「早蕨」全国大会特別報告号①  よみがえる知多半島の旅

早朝大阪を発ったいぬまのクルマ、途中大和郡山で西村、三木を拾い名阪国道を東進、東名阪 伊勢湾岸道 知多半島道路を行けば半田着10時過ぎ。知多半島は思いの外近い。 中京圏のモーニングで一憩の後「博物館酢の里」を見学。

ここ知多半島では、酒、酢、味噌、溜などさまざまな種類の醸造が行われてきた。江戸と上方の中間に位置するところから「中国酒」と呼ばれた、知多の酒は18世紀後半には大消費地である江戸でシェアを伸ばす。半田周辺には約100軒の酒蔵があったという。そして、19世紀前半に酒の搾り粕を原料とした粕酢がつくられるようにになった。この粕酢の醸造に成功したのが半田の中野又左衛門。いわば産業廃棄物の酒粕が原料の安価な粕酢を大量生産し江戸へ運び、それが江戸前の握り寿司の普及につながるのだが、これが後の中埜商店(現ミツカン)。ミツカンの本社は今もここ半田にある。

半田、なればこのことをぜひ。 1944年(昭19)12月7日の「東南海地震」。当時半田にあった軍用機製造工場(中島飛行機、現富士重工)は、レンガ造りの紡績工場を改築したものでこの地震で壊滅的被害に遭う。この震災で倒壊家屋約5万、2千人近い死者が出るのだがその多くが、学徒動員でこの工場で働いていた地元の中等学校や高等女学校の生徒だった。 (東南海地震の被災も含めて)このことはずっと封印(秘匿)されてきた。地震があったのは12月7日…翌12月8日は!?そう、3回目の「開戦記念日」とあって新聞各紙の1面トップは昭和天皇の写真。その下の片隅に1段の記事で地震と「損害軽微」の文字があるだけ。
さて、前泊の目的はというと、井沼が属する「基調何とかグループ」が南知多の民宿で合宿検討会をする…とかで、そこに3人がくっついてきた……(下略)

(by中村貴彦。 届きましたか? 「早蕨」全国大会特別報告号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

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