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2011年10月 9日 (日)

【立ち読み】「早蕨」8月号⑬  議論が続く佐藤・四反田実践

(静岡高生研の絹村さんから「佐藤・四反田実践へのコメント」の投稿がありました。「人権」という観点での違和感を指摘したものです)

佐藤さんは、たまたま望んでもいない「学年生徒指導担当」になった。新設5年目の比較的新しい学校で、頭髪や服装の指導という「苦手」ことを先頭切ってやらねばならない立場に立ったのだ。佐藤さんの中に「頭髪なんてどうでもいいやん」という自分があり、そういう指導をすることを「アブナイ!」と感じ躊躇する自分がいる、と述べる。実はこの佐藤さんの感覚は佐藤さんの中の「まとも」な感覚である。しかしその「まともさ」を学校の中・職員集団の中で前面に出す勇気はないようだ。勇気がなかったぶんだけ「押し付けられる」要素があったともいえる。ともあれ、そういう管理主義的な生徒指導が貫徹されている学校で、「まとも」な感覚をもった佐藤さんが管理主義の前面に立つことは意味があることなのであろう。

そのひとつは、管理主義からくる人権無視の生徒指導をどれだけ「緩和」できるか、という問題である。それは、いきすぎた「指導」の過程における体罰や授業に出さないという学習権を奪う行為などをどう防止するかということである。その意味で、佐藤さんが年度初めに生徒たちに「教師はきみたちにぜったい暴力はふるわない」、「みんなのことを『くん』、『さん』づけで呼びます」と宣言する意味は、生徒にとっても職員にとっても大きな意味があった。それは、「私たちは、君たち一人ひとりを一人の人間として尊敬し、平和的な関係をつくっていきますよ。」というメッセージであった。

また、フルメイクをして登校してきたA子に「化粧を一方的にとがめるのではなく」、そういう行為に至った理由を尋ねることでA子との対話をつくっている佐藤さんの生徒指導担当としての生徒へのアプロ―チは評価できる。生徒の行為・行動の裏には必ず「理由」がありそれにアンテナをはり、聞き取ることが生活指導にとっては大事なことだからである。

ただ、いくつかの問題点、それは「さわらび」誌上における実践分析会の報告の中でも指摘されているところの「違和感」「危うさ」にもつながるが、それを指摘しておきたい。

(下略。「早蕨」8月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

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