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2011年11月の投稿

2011年11月29日 (火)

【立ち読み】早蕨10月号⑧ こんな大阪ワンディウォーク・大阪の渡船 一気に走破だ!!

(前略)

 大阪には「渡し舟」、正式な言い方をすれば「渡船場(とせんば)」が8か所(も)残っている。観光用ではなく、今なお地域住民に欠かせない交通機関として活躍しているのが大阪の渡船。

(中略)
 前置きが長くなった。いざ渡船巡りへ。

 まずは大正区の東側、木津川へ。なんばから市バス鶴町方面ゆきに乗って「大正区役所前」で下車。千鳥公園(戦後の地下鉄工事の残土を積んでつくった丘)を抜けると大型SC、その近くに「落合上渡船場」がある。対岸へは1分余の渡船だ。木津川左岸を西成高校、西成公園を左に見ながら少し歩くと、今度は「落合下渡船場」だ。再び大正区に戻り、川沿いの工場外を南へ南へ(無味乾燥な道を歩かねばならぬのが難点)気分転換にはこの近くの「平尾商店街」をぶらつくのがいい。大正区は別名「リトル・オキナワ」、とりわけ平尾界隈には沖縄出身の方が多く、ソーキそばにゴーヤチャンプルーで腹ごしらえだ。(沖縄好きには平尾商店街詣でをお勧めする)

 眼前に大きな橋が迫ってきたら「千本松渡船場」。ループ状の千本松大橋の下を渡船が往復する。この橋、両岸側が2重のループ状になったユニークな形で歩いて渡ることもできる。ループの歩道を5分かけて上らねばならぬが、水面から35mの橋上から見る大阪の風景は眺望絶佳。5分かけて上り下りせねばならぬ橋は歩行者、自転車組にはあり得ない。なので、架橋後も渡船が残ったわけだ。

 渡ったところが西成区南津守。ここから南西方面へ工場地帯の中を2km余歩けば、大きなアーチ型の美しい橋。アーチ橋としては日本最長の新木津川大橋だ。この橋の下にあるが「木津川渡船場」。ここまでくると木津川も川幅が広く、乗り応えのある渡船だ。他の渡船は15~20分間隔で運行されるが、ここ木津川渡船はデータイムは45分間隔、待ち時間を覚悟せねばならないが、待合所のベンチで川面を渡る風に吹かれるのも一興!?
 住之江区からまたまた大正区になって中山製鋼所を左に見ながら10分余、今度は「船町渡船場」。木津川運河を渡る渡船だが、対岸はすぐ目の前。それもそのはず幅は75mしかない。昭和30年頃には船を繋いでその上に板を並べて橋代わり(これを「舟橋」という)にしていた!?のもうなずける。

(下略。中村貴彦。「早蕨」10月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

2011年11月28日 (月)

さあ、これから。

W選挙の結果が出ました。

マスコミの論調が、「維新圧勝。有権者の民意!」と流れてしまわないことを願っています。

「大阪都構想」が争点で、「教育」はほとんど語られなかった(と自分は思う)。

維新の議員の方からも、
「(教育基本条例は)運用の面でかなり厳しい部分があるなあ」
という声を聞いています。

ここで「民意」という名で一気に12月に可決とならないよう。
新聞、テレビ各社も、ぜひ、今回の選挙で「教育」がどれだけ語られたのか、検証番組でたどっていただきたいです。

「さあ、これから」と思っています。

          (文責 佐藤)

2011年11月27日 (日)

「教育基本条例案」を授業でとりあげてみた(続)

 この「条例を教える」授業について、朝日新聞の生活面で取りあげられました。
 ちょっと長いけど、引用。

<以下>

競争・義務…教育どこへ 親・子から見た大阪府の基本条例案

 子どもの可能性を信じる心が大人にどれほどあるでしょうか。大阪府議会で審議中の教育基本条例案。知事が教育目標を決めることや、学力テストの学校別結果公表、保護者の学校運営への参画「努力義務」などが盛り込まれています。保護者や子どもの目線でその中身をあらためて見つめ、教育とは何か考えてみました。

 ●「夢描くには時間必要」

 大阪府摂津市の女性(49)は中学生から大学生まで3人の子の母親。「条例案は全体に学力を上げたいようだ。けれど、何が学校で新たに始まるのだろうか」と戸惑う。

 子ども3人は吹奏楽部で活動。「先生が目標を提示し、子どもが伸びていく様子を見守ってきた」という。「子どもは一人一人力を持っているけど、それが何なのか本人も分からない。夢を描ける時間が必要。義務教育の間は点数に振り回されないでほしい」

 部活動などへの親の役割分担については、「もちろん協力するが義務には疑問。できない家庭もあると思う」。

 競争主義をうたっているのも条例案の特徴だ。

 豊中市の女性(46)は、高校2年の息子が小学生の時、新設された習熟度別クラスが1年で廃止になったと話す。保護者から「いじめのもとになる」という意見が出たからだ。「できる方」の子がもう一方のクラスを揶揄(やゆ)したという。女性は「そうさせないのが教育。競争は大事だけれど、思いやりや優しさを教えないと」と力を込める。

 一方で「習ってない漢字を書いたらダメ」という先生もいた。「ぎすぎすしないで、温かい気持ちで教育してほしい。でも、それを法律や条例で表すのは難しいですね」

 また、教員にも成果を厳しく問う。高槻市の女性(44)には小学6年と中学3年の子がいる。2人とも不登校だ。「先生に相対評価がつくようになると、うちの子がマイナス要素になってしまうんじゃないか」と心配になる。

 案が出てきた背景には「つながりの貧困」がある。そう指摘するのは、3人の子の母親で、子育て支援活動をしている柳瀬真佐子さん(51)。「親や地域のつながりが薄くなって、信頼できる人がみつからない。だから自分の子だけでもよくなってほしい、となる。不満や不信の旗を振らなくてもいいようにするには、親と学校が顔の見える関係をつくって協力しあうことではないでしょうか」

 ●「勝敗と思いやり、矛盾」
 条例案を授業で取り上げた学校がある。大東市の府立緑風冠高校の佐藤功教諭は10月、2年生の日本史の中間テストで「知事による教育目標の設定や3年連続定員割れした学校の廃校規定などを含んだ教育基本条例案が審議されている都道府県はどこか」と時事問題として出題。246人中、正答率は68%だった。

 「影響がある生徒の気持ちを聞いてみよう」と、佐藤教諭はテスト後に条例文と複数の新聞記事を用い、意見の押しつけに注意しながら内容を説明。授業後のアンケートでは賛成29%、反対55%、わからない・無回答16%だった。

 賛成意見は「他国との競争に勝たないといけないので学力向上は必要」「格差はあって当たり前」「まじめに勉強に取り組んでいる人が得するのは当然」などがあがった。

 一方、「競い合いの中で弱者を助ける勇気と思いやりを持てる人なんてそういない。自分のことで精いっぱいになる。矛盾している」「教育に口を出したくて民意だと言っているように見える」「僕たちは機械ではありません」という指摘も。「もっと子どもたちに詳しい内容を教えて意見を聞いてほしい」という声も目立った。(中塚久美子)

 ◇教育と権力、戦争の反省
 英国の教育・福祉に詳しい岩橋法雄・琉球大法文学部教授(教育行政学)の話 条例案を練った大阪市議の理想の教育モデルは、英国のサッチャー改革だという。だが、当時の英と今の日本は違う。低い学力水準にあった英は、全国一斉テストや学習指導要領の導入など、到達度をはっきりさせる手段を選んだ。日本は目標が指導要領で示され、仕組みもある。英は結局、権力的導入と競争主義が現場を疲弊させ、一斉テストは一部廃止された。今の教育制度は、権力が介入して戦争に進んだ反省の上にあることを忘れてはならない。

 (朝日新聞11月18日 朝刊生活面より引用)

 今日は選挙。
「教育基本条例」を落ち着いて議論するのは、さあ、ここから。

2011年11月26日 (土)

「教育基本条例案」を授業でとりあげてみた(下)

 高校生の意見分布は、「条例賛成29%、反対55%、わからない、無回答16%」。
 報道等でみる、世論調査の数字(※「賛成」する人が「反対」の倍ほどいる)とは違った結果になっています。

 これはなぜ?
 若干の考察を試みてみました。

     
●現状
<高校生たちの意見からわかること>

・「条例案を審議していること」を知っている者はそこそこいる(68%)。
・しかし、条例案を読んだ者は皆無。報道等で「内容を少しでも知っている」者は各クラス1~2名しかいない。
・内容を解説すると、1つ1つの条文自体は「いいこと」が書いてあるが、全体を通して見ると「これはアブナイ」と本能的に感じる。

<朝日新聞世論調査結果(賛成49% 反対26%のダブルスコア)からわかること。
①25%の人が「賛否わからない」=ナカミを知らない状況。
②朝日の質問は

「大阪維新の会は、知事が学校の教育目標を決めることなどを盛り込んだ教育基本条例案を府議会に提案しています。この教育基本条例案に賛成ですか。反対ですか。」

 ナカミを知らない人は、この文章(知事が学校の教育目標を決める←正確には、この表記はマチガイだ)だけで賛否判断するので、今の学校(および学校制度等)に不満を持つ人の多くは、橋下さんが改革してくれそうだ、いいことだ」と賛成するだろう。
③数字がひとり歩きし、「条例は支持されている」の空気が広がる=結果的に世論誘導になってしまっている。

●つまり。
「表面だけ」「字面だけ」「一部だけ」読んだら、なかなか「いいこと」が書かれているので「賛成」したくなる。
 でも、ナカミをじっくり読んだり、貫く「理念」を知ると、「これはアブナイぞ」と思う。

●今後必要なこと
・「どれだけ条例案の「ナカミ」を的確に伝えることができるか」に尽きる。

                                      (S。つづきます)

2011年11月25日 (金)

「教育基本条例案」を授業でとりあげてみた(中)

 昨日の記事の続きです。
「生徒たち、鋭いなー」を実感させる感想の数々(抜粋)です。 

【「条例案」に賛成!】 29%
(ア)「愛国心及び郷土愛に溢れる人材を育てること。弱者を助ける勇気と思いやりを持った人材を育てること」がよかった。
(イ)他の国との競争に勝っていかなけいといけないので学力向上は必要だと思う。
(ウ) 確かに今の子供は自由すぎるし、他人にたよってばかりであまり責任感がない。もっと自己をもつべきだし、ルールもつくるべき。政治と教育委員会はもっと組むべきだと思う。
(エ) 私がひっかかったのは、「世界」というキーワードです。「世界」と競争する必要はないが、尊重することは必要やと思う。⑧は自由すぎると学校が荒れるので、少しルールを守れる人に育てたほうがいいと思う。
(オ)とりあえず通してみて、どういった結果になるか見ればいいと思う。
(カ)ゆとり教育とか個性を尊重とか言いすぎたと思う。格差なんてあってあたりまえだと思うし、教員が評価されるのもいいと思う。
(ク)いいところは伸ばして悪いところは変える。仲のいいところは悪くないんやから、無理に競争心をあおる必要はないと思う。でもお互いに支えあって能力のある者がどんどん伸びればいいから、グローバルに対応できる能力のある者だけが対応すればいいと思う。
(ケ)まじめに勉強に取り組んでいる人が得をするのは当然だと思います。レベルの低すぎる人には合わせなくていいと思います。
(コ)日本の今の教育はムダが多い。効率が悪い。文法だのなんだの、なんでもかんでも覚えろ!というのはよくない。むしろ現代において習ってすぐに使えるようなことを覚えさせるべきだ。また体育には得意とか以前に危険性がともなうものが多い。柔道なんかは特にへたすれば死に至りかねないのだから、選択科目にすべきだ。                                      
(サ)やっぱり他国に負けたくないという気持ちのほうが、勉強(教育)などに上の目標を目指すことができると思うので、条例はあったほうがいいと思う。
(シ)2年連続D評価の教育は分限処分と言うのは生徒と教師が対等なので良いと思った。
(ソ)世界に通用するためにはもっと競争意識を高めたほうがいいと思うから、そのためにもこの条例はあったほうがいい。

【「条例案」に反対!】   55%、
(タ)この条例は日本のよいところをつぶそうとしている。確かに学力は上がるかもしれないが、代わりになにかべつの学生らしさなど、良いところが失われてしまう。勉強ばかりできる頭でっかちのかわいげのない子ども、情にうすい数字にばかりこだわる嫌な大人ができあがってしまう。
(チ)「格差を受け入れてでも秀でた者を育てる必要がある」というのはおかしいと思います。エリート育成をするのは悪いことじゃないと思うけれどできない者を見放すのはとても悪いことだと思います。
(ツ)個人の得意なコトを伸ばそうとするのはいいけど、廃校とか2年連続D判定の教師はクビとかきびしすぎる。格差をつけるのも、つけすぎるのはよくないと思う。上の人はいいけど、下の人は困ると思う。
(テ)エリートばっかりいる国が良い国とはいえない。というかなにか違う気もする。人はいろんな人がいるから、個人の尊重もきっと大事だと思う。天才とか? どんだけ頑張っても、努力型が天才型に勝つのは難しいのかもしれない。わからんけど。
(ト)大阪府を実験台にして成功したら他の県も…なら失敗したとき、又、教育を変えるのか、それに適応していく学生はきっと大変だ。競争意識はそうゆう考えを教えること自体、社会に対応させる為に必要だと思うけど、徹底する必要はないような気がする。子供、生徒をねじふせる教師が増えそうでちょっと怖いです。
(ナ)教育現場で愛国心とかを刷り込んでるみたいやと思った。
(ニ)はいりたての先生とか評価をつけたらほとんどがDになってしまう。そしたら若い先生がいなくなる。
(ヌ)世界に対抗するのもいいけど、それよりもまず国内から変えることを考えたほうがいいんじゃないかと思う。他の国では格差とか問題になっているのに、わざわざ自分からそこに飛び込むような必要はないと思う。
(ネ) 高校かって前期に生徒をとられて後期の高校は生徒がとれなくなる。後期は不利やのに、3年連続やったらつぶすとか無責任。もっと教員のことを考えてほしい。こんなんしたら、教師になりたいて思わへん。
(ノ)確かに選挙で選ばれたから民意というのは分かる。でも、この条例は自分達が教育に口出したいから「これは民意だ」と言ってるようにしか見えない。この条例は別に大阪府民の意見を元に作ったわけでもないし、まずこの条例が一番影響を与える高校生に対して何の話もなしに通そうとするのが一番意味不明。現場をもっと理解してから話しをしろ。
(ハ)もうちょっと考えてから出したらもっと良い物になると思います。極端すぎて、通ったほうがいいとは思えないです。あと、「人材」「人材」と連呼しているのが、なんか「生かされている」とか「物」扱いみたいに聞こえて、すごく嫌でした。だからと言って他の呼び方は思いつかないのですが(^o^)…。
(ヒ)言ってることが矛盾している。競い合っているなかで弱者を助ける勇気と思いやりを持てる人なんてそういない。自分のことでせいいっぱいになる。能力のない人はどうなるか明確に明かしてほしい。いくら努力してもできない人もいるからそこは言ってほしい。義務の中に自由を見出せる人もあまりいない。
(フ)こんなことをしているヒマがあったら「いじめ」とか「虐待」をなくすことに力を使ってほしい。人を学力ではかるなと言いたい。子供のあたまを良くするのが知事の仕事ではないと思う。もっと大阪の社会を良くしてほしい。はっきり言うと馬鹿馬鹿しい。
(ヘ)学区撤廃は別にいけど、統廃合とか教員の分限処分はやらなくてもいいと思う。もしクビになってしまったら次にする仕事とかもみつけるのもたいへんやし生活とかできひんなったら、どうするんかなって思う。
(ホ)勉強ばっかりしてたら、頭だけしか良くならない人材育成する為にはもっと中身のこい授業をするのがいいと思うし、社会に出て応用できる授業だけをすればいいと思う。でも、成績が悪い人が決まってしまうと学力の平均が下がったら意味ないと思う。ぐれる人がふえると思う。治安悪くなると思う。
(マ)俺たちは機械ではありませんので。
                                                              (S。つづきます)

2011年11月24日 (木)

「教育基本条例案」を授業でとりあげてみた(上)

 先日、高校2年の授業で「教育基本条例」をとりあげました。

「私見を交えず、事実を説明する」を念頭に。管理職の先生にもみてもらいました。

どうしても「レクチャー中心」の授業になり、生徒とのやりとりがしにくかったのは残念です。

 1つ1つの条例文については新聞記事から、そして、条例の「前文」「理念」については、直接、条例文を解説しながら読みました。

 さて、生徒たちの意見は、以下でした。

●生徒たちの意見からわかること

・「大阪で条例案を審議していること」を知っている者はそこそこいる(68%)。
・しかし、条例案を読んだ者は皆無。報道等で「内容を少しでも知っている」者は各クラス1~2名しかいない。
・内容を解説すると、「1つ1つの条文自体は「いいこと」が書いてある。しかし、全体を通して見ると「これはアブナイ」」と本能的に感じている。(鋭い!)
・条例文1つ1つについては、内容的に賛成するものが多い。しかし、全般を通してみると、このままこれを通すことはキケンだと感じている。
・条例賛成29%、反対55%、わからない、無回答16%。

  以下、先日、朝日新聞がとった「世論調査結果(賛成49% 反対26%)」と比べて考えてみました。
                     (S。つづきます)

2011年11月23日 (水)

緊急シンポジウム「どうなる どうする 大阪の教育 ~大阪府教育基本条例案を考える~」

大阪弁護士会主催、賛成派、反対派両者登場のシンポジウムのご案内です。
申し込みはファクスで。

●緊急シンポジウム「どうなる どうする 大阪の教育 ~大阪府教育基本条例案を考える~」
 

小河 勝氏(大阪府教育委員)
坂井良和氏(大阪市会議員・大阪維新の会所属・弁護士)
二宮厚美氏(神戸大学発達学部教授)

日時:2011年12月3日(土) 13:00〜16:00
場所:大阪弁護士会館2階 201・202
参加費:無料(当日先着200名)

http://www.osakaben.or.jp/web/event/2011/111203.pdf

2011年11月22日 (火)

【立ち読み】早蕨10月号⑦ イケ麺ず&スウィーツ・パラダイス 第11回

割烹蕎麦「神田」茶屋町本店
   北区茶屋町8-26 NU茶屋町プラス3F

昔は近くのビル1階にあってずっと庶民的な店だったが、新しくできた商業ビルに移転して、えらくこじゃれた店構えになってしまった。でも、敷居は高くない。

 名物は「ねぎせいろ」1,000円。写真は+100円の大盛り。温かい出汁に大きなかき揚げ。
小エビとホタテの食感がいい。蕎麦は北海道幌加内産の風味豊かで喉ごしも良い。昔は大盛りも同じ1,000円でお得感があったけど・・・。以前と比べてメニューも豊富になっている。「鴨せいろ」もおすすめ。

お酒のメニューも豊富なので夜も楽しめそう。

  (首藤。以下略。「早蕨」10月号購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

2011年11月21日 (月)

大阪高生研総会は、1月7日(土)

第9回事務局会議を開きました。大阪総会について、次のとおり決まりましたので日程確保、よろしくお願いします。

●1月7日(土)午前9:00~17:00

第1部:総会(150分)総括と方針、新高生研・新大阪高生研の方向性について重点的に議論する。

第2部:映画『月明かりの下で』上映

第3部:平野和弘先生のお話と討論

こんな映画です。
主役(の1人)、平野先生は高生研の会員。
ぜひご覧ください。 → 
http://tsuki-akari.com/wordpress/ 

2011年11月20日 (日)

お待たせしました! 「基本条例案を「事実」をもとに考えるシンポジウム」がここで見られます。

 10月30日の「基本条例案を「事実」をもとに考えるシンポジウム」、生中継を試みたのですが、当日、トラブルが起こってしまい、見送りとなってしまいました。

 申しわけありません。

「ずっとパソコンの前で待機していたのですが」
「多くの人に宣伝したのにどうしたの?」

 などの声もたくさんいただきました。
 その後、担当者氏が鋭意努力、やっと、当日のもようを以下で見られるようになりました。 

    http://bit.ly/vjX0oO

  お時間あるときに、どうぞご覧ください。

2011年11月19日 (土)

連続講座『労働組合運動の復権』by熊沢誠

名古屋大会にも来てくださっていた熊沢先生の興味ある講座が連続で行われています。
単発参加も可能ということなので、ご紹介。

<以下>

ご案内 連続講座『労働組合運動の復権』by熊沢誠
             労働と人権 サポートセンター・大阪×研究会「職場の人権」共催

 【熊沢からのメッセージ】
このたび、「サポセン」と「職場の人権」の共催で、10月から来春3月にかけて、総タイトル『労働組合運動の復権』という5回の連続講座を開かせていただくことになりました。
 思えば<労働組合運動>は、半世紀にわたる私の労働研究の出発点であり、そののちも終始変わらぬ関心の中心でした。しかし、81年に『ノンエリートの自立──労働組合とはなにか』を出版して以来、著書のタイトルに「労働組合」の文字はありません。ほかでもなく、その頃から労働組合は労働者の生活の風景のなかで次第に不可視になり、社会的関心も衰退して、書店は「労働組合の本」の出版を忌避するようになったのです。とはいえ、本当は労働組合の存否、組合規制の濃淡が労働者の職場内外の生活の明暗を決定的に左右することは疑いなく、私はそれゆえ、たとえば90年代~00年代の3冊の岩波新書でも、かならず末尾には労働組合の機能への期待と提言をこめてきたものです。
 けれども、とくに平成不況以来、日本における労働運動強化の不可欠性はますます痛感されるようになりました。私の研究生活も最晩年期を迎えました。もうはばかることなく、初期の著作もふりかえりながら、もういちど労働組合について、原論、歴史、現状分析にまたがって全面的に語ってみたいと思います。
 各講座の日程とおよその内容は次のようです。

第1 10月29日(土)今なぜあらためて労働組合なのか──その意義、思想、機能
第2 12月17日(土)欧米労働組合運動の軌跡
           ──これまでの達成・新しい課題
第3 1月21日(土) なぜ日本では企業別組合が普及したのか
           ──近代化・現代化の日本的特徴と労働者
第4 2月18日(土) いま企業別組合の役割はどこに?
           ──現代日本における労使関係の状況
第5 3月17日(土)労働組合(=ユニオン)運動の明日

 *場所はいずれも天満橋のエル大阪(府立労働会館)、時間は午後1:30~4:30分
*聴講ご希望の方は「サポセン]に、電話(06-6352-3400)、FAX(06-352-3401)、メール(
saposen-osaka@lemon.plala.or.jp)でお申し込みください。
 *受講料は1回500円、5回通し2000円。なお本講座は「職場の人権」の例会を兼ねていますので、研究会会費納入の方は無料、聴講申し込みも不要です。

 おそらく私の最後のまとまった発言になります。理論展開もありますが、終始、具体的に語ります。ぜひ、聴いて下さいますように! このメールのご友人への転送も歓迎です。毎回、有力な論者による評論もふくめ、立ち入って質疑と討論をこころみたいと思います。

2011年11月18日 (金)

【ブック】『どうなる!大阪の教育』

 ブックレットのご紹介です。『どうなる!大阪の教育』~橋下・教育基本条例案を考える~が、フォーラム・Aから緊急出版されました。

 野田正彰さんへのインタビュー「弱いものいじめに未来はない」、「大阪府民のつぶやきにお答えします〈30のQ&A〉」、「教育委員会は本当にいらないの?教育の地域性とは何か」など充実の内容です。

 編著は池田知隆さん(元大阪市教育委委員長・元毎日新聞論説委員)です。大阪高生研のメンバーたちも編集協力をさせていただきました。600円です。読み応え十分。ぜひお買い求めください。

梅田の清風堂書店には山積みになっています。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%8B-%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2-%E6%B1%A0%E7%94%B0-%E7%9F%A5%E9%9A%86/dp/4894286904

2011年11月17日 (木)

【立ち読み】早蕨10月号⑤ 「文化祭でメイド喫茶ってええの?」

●「食品バザー」…教師になって初めてです。

 今年のわがクラスの文化祭出し物、「食品バザー」になりました。
「よし。本格的手打ちうどんをやろう。今、大阪のうどん界で新進気鋭の名店、大鶴製麺所がうどん教室をやってる。そこで修行だ!」
 意気込む担任の前にはだかる保健所の壁。
「手打ち」だとか「自家製」だとかの「ブンカテキ」なものはことごとくダメで、「インスタント」とか「レトルト」を大推奨。
 ならば、とばかりにこれから行く沖縄研修旅行にちなんで、

○テーマ <沖縄>。教室を沖縄色に染め、ナマ沖縄民謡つきの民謡喫茶だ!

 の案も出たものの、少数否決。
 結局生徒たちが選んだテーマは……「メイド喫茶」。
 店名も「萌エゼリア」という怪しい(パクリ?)ものに決まった。
 えっ? 文化祭でメイド服着た女の子が
「お帰りなさいませ、ご主人さま!」
 ええのん?

●「メイド喫茶」は「巨大企画」になり得るか?

 教師になって以来、
「文化祭の出し物は何やってもいいで。でも、とことんやるで」 と言い続けてきました。
 今年もその方針できたので、「メイドだから無理」のアタマごなしはできない。
 かと言って、早くもどこでメイド服を買おうか、と盛りあがる生徒たちに、あとから「メイドは×」とは言えない。
 先生方に個人的にリサーチすると、「やっぱり文化祭にはそぐわないでしょう」の声がいくつもある。
 担任としては、文化祭指導委員会に、「メイド喫茶はありですか? ダメなら早い段階でダメと言ってやって」と正式に問い合わせるとともに、生徒たちには、

・メイドは男女差別ではないか。
・いやらしいイメージがあるのではないか。
・果たして「文化」と言えるのか。
・やりたくない生徒がメイド役を無理やりさせられるのではないか。

 など、いくつかいただいた懸念を伝えました。
 さて、生徒たちは? メイド喫茶は?

(下略。佐藤功。「早蕨」10月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

2011年11月16日 (水)

「少年はタリバンになっていた」

 西谷文和さんと一緒に2年前の大阪大会で「平和だったころのアフガニスタン」を語ってくださった写真家・長島義明さん。

 この夏、懸案だったアフガン再訪を果たしたのだが、31年ぶりのアフガンは……?

 今週号の『アエラ』に、長島さんが特集されています。

 →http://www.aera-net.jp/summary/111113_002646.html

2011年11月15日 (火)

「反ハシズム~独裁いらない府民大集会」【本日】

ジャーナリスト・西谷さんからのご案内。本日です。

 <以下>

みなさん、私たちは、橋下前知事の暴走を止めたいという一点でさる10月20日に、「橋下徹さんが元のテレビタレントに戻られることを願う大阪府民の会」(略称ハシモトドオリの会)を結成しました。

ハシモトドオリの会では、WTCビル購入と庁舎移転に伴う税金の無駄遣いについて、住民監査請求を行い、先日受理されました。

また大阪の学校現場を破壊し、子どもも先生も過酷な競争にさらされる教育基本条例に強く反対し、これを阻止するための共闘を呼びかけています。

そこで、以下のような集会を企画しました。

集会までに時間がなく、お忙しい中だとは思いますが、ぜひ日程に都合を付けていただき、
参加されますようお願いいたします。

日時:11月15日(火)午後7時より(6時半開場)
場所:大阪市立いきいきエイジングセンター 3階ホール
内容:1 住民監査請求の中間報告(11月14日の意見陳述会の模様を中心に)
   2 教育基本条例を批判するビデオ上映
   3 反ハシズム創作落語 (笑福亭竹林さん)
   4 ハシモトドオリ劇団による大阪都構想批判映像
   5 候補者飛び入り?決意表明
   などなど。


みなさんのご来場をお待ちしております。

2011年11月14日 (月)

堤未果さん連続で講演

堤未果さんの講演の案内が届いています。

■11月21日(月)「大阪高教組・障教組教育改革フォーラム2011 大阪府教育基本条例がもたらすもの この人に聞きたい!堤未果さん 「貧困大国」アメリカからみえる5
年後の日本~いま大阪の教育があぶない~」日時11月21日(月)午後7時~9時
 場所 ホテルアウィーナ大阪 3F「信貴」の間(地下鉄「谷町九丁目」・近鉄
「大阪上本町」より徒歩)参加費 無料 連絡先 大阪府高等学校教職員組合 電話
06-6752-5181 

■12月10日(土)13:30~ 府高教研「アメリカの競争教育から大阪を見る~橋下教育路線の行きつく先は~」 箕面観光ホテル 連絡先 大阪府立高等学校教職員組合(府高教) 電話 06-6768-2106

2011年11月13日 (日)

【立ち読み】「月刊生徒指導」11月号 特集:ゼロからの規範意識

若手・山野さんの「生徒のしかり方」。
失敗例もふまえた提言です。

(前略)

「先生は俺のこと犯人と思ってるやろ?みんなも疑っているし、みんな俺のこと犯人って言うてる」とすごい剣幕でまくし立てたのであった。事情がわからない私は、「誰もCくんが犯人とは言っていない」と説明してもとりつく島もなく、Cくんの怒りは収まらず後味の悪い結果になってしまった。

何が悪かったのか?

どちらのケースにも言えることだが、教師は生徒の言葉―思い―を受け取る意志が見られないといえる。例えばAくんの場合は、校則に照らし合わせて彼を裁ことに必死になり、「なぜ遅刻をしたのか」というAくんの事情を無視してしまっていること。それは、「ここで例外を許すと、周囲に示しがつかない」という教師の考えがあるからだろう。確かに、一人を許すとタガが外れてしまう可能性はある。そして、全体への示しを優先した結果がゼロ・トレランス的―寛容なき厳罰主義―な対応となってしまい、Aくんとトラブルを起こしてしまったのである。
 また、Cくんの場合は、教科書を捨てられたBくんの思いを汲み取ろうと思うがあまり、不用意な全体への投げかけがかえってCくんの意固地な態度を生んでしまったという結果を生んでしまった。教師は「犯人捜し」のつもりがなくとも、Cくんにとっては「犯人はお前」だと言われているのも同じであり、Cくんが教師に怒りをぶつけたのも、「事情も聞かずに俺を悪者にするのはなぜだ!!」という異議申し立てをしたかったのかもしれない。こうなってしまうとCくんは何が何でも自分が犯人と申し出ることはできない。
 確かに、どちらのケースも教師は悪いこと―「遅刻をする」ことや「他人のものをゴミ箱に捨てる」こと―を悪いと生徒に示してはいる。しかし、それはあくまで全体の規律維持のためであって、そのやりとりを経て当事者にどのような内省を促し、成長を求めているのかは提示できていない。いいかえると、当事者はそこに不在のまま教師の一方的な規律(ルール)の提示でしかないのである。

(山野賢治。以下略。学事出版「月刊生徒指導11月号」 特集:ゼロからの規範意識)

2011年11月12日 (土)

【立ち読み】早蕨10月号④ こんな大阪ワンディウォーク 

大阪の渡船 一気に走破だ!!

                        今なお地域住民に欠かせぬ交通機関                           
                                    
                                    
                                       
                                       
   (前略)

大阪には「渡し舟」、正式な言い方をすれば「渡船場(とせんば)」が8か所(も)残っている。観光用ではなく、今なお地域住民に欠かせない交通機関として活躍しているのが大阪の渡船。

 歴史的には『古事記』に「久須婆(現在の樟葉)の度(わたり)度(わたり)」の記述があるとか!? もっとも、渡船の多くは江戸中後期誕生したもので、当初民営だったのが1907年(明40)に市が管理するようになった。1920年(大9)には旧道路法の施行に伴い「道路の代わり」として無料で乗船できるようになり、最盛期の昭和10年頃には31か所の渡船場があったという。

 その後の戦災や橋の整備などにより少しずつ廃止されていき、現在は8か所の渡船場が残る。船はすべてエンジン付きの小型船で、乗船は無料、自転車の利用もOKだ。それにしても、この時代になぜ橋を架けずに渡船のまま残してあるのか?それは木津川、尻無川、安治川等の川は今なおそれなりの大型船が航行しており、橋を架けられないから。勿論今の架橋技術をもってすれば、大型船が下を通ることができる高い橋を架けることもできるが、人が利用するにはその都度、高くて長い階段を上り下りせねばならない。利便性ということで橋があっても人の輸送は引き続き渡船が担っているわけだ。

(下略。ナカムラ。「早蕨」10月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

2011年11月11日 (金)

反ハシズム大集会

  ジャーナリスト・西谷文和さんからのお知らせです。

「11月15日(火) 反ハシズム大集会を行います。
午後7時より 大阪市立いきいきエイジングセンターにて。

WTCビル移転問題での中間報告や反ハシズム落語、
ハシモトドオリ劇団の最新映像など、盛りだくさんの
集会です。ぜひお越しください」
 

2011年11月10日 (木)

【立ち読み】早蕨10月号③ 「文化祭クラスユニフォームをめぐって」

   某校で生徒会を担当するNさんです。

(前略)

<クラスユニフォーム費用の制限>
私の学校では文化祭の時に、クラスの一体感を高めるために、共通デザインのTシャツ、トレーナー、パーカー、“つなぎ”などを製作することになっています。

ただ近年、これに時間とお金をかけ、しかも業者に発注するのに自分たちで行わず担任を頼ったり、一人2500円くらいかかっていて、生徒が払えず(経済的理由で無理な生徒も多いので)やむなく担任が立て替えたりと、弊害も毎年のように指摘されていました。

そこで生徒会顧問は執行部との原案づくりの際にクラスユニフォームの製作費用を一人1000円に制限するルールを盛り込むことにしました。これは生徒会援助金が1000円なので個人の負担金が少なくてすむ、という基準から提案したものでした。今の執行部はどちらかというと“教師目線”の真面目な生徒が多く特に異論は出ませんでした。

<まず職員会議で修正案が・・・>
 実は今年度の夏休み明け職員会議の
日程の関係で、先に職員会議があり、その後に文化祭原案審議の文化委員会をすることになり、これが問題になります。職員会議では1000円ではTシャツくらいしか選択肢がないので、せめて1500円に上限を引き上げてほしい、との要望がだされ、修正案となりました。否決されましたが修正案を支持する担任も多く、波乱含みだな、という印象をもちました。執行部と今一度話し合い、この変更点は一度クラス討議にかけた方が良い(例年と変更のない原案ならば委員会のみで議決していた)ということになり、文化委員会にのぞみました。

<異論百出!!文化委員会>
クラスでアンケートをとってきた文化委員もいて、圧倒的に1000円は安すぎ!せめて1500円に、いや2000円はいる!いや制限そのものに反対!と厳しい意見が相次ぎました。このままでは制限そのものを廃止する修正案が成立しそうな勢いでした。

生徒会顧問と執行部はなぜ制限が必要であるかを訴え、委員会に再考をもとめた。その結果、委員会としてはやはり1000円案はのめない、上限金額の修正をするということになり、1500円案、2000円案が修正案となり、結局僅差で1500円案が成立しました。

<職員会議の議決を生徒案が覆す?>
 さて後の問題は、職員会議でいちど修正案否決までして決定された案件を、生徒の意見(正式な手続きを踏んだとはいえ)が覆せるか?という問題が残りました。

(下略。みなさんの学校ではこんなケースはどうなりますか? 「早蕨」10月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

2011年11月 9日 (水)

プロメテウスはどこへ

  今、朝日新聞で「プロメテウスの罠」という連載を行っている。生きるための武器を持たない人類にプロメテウスが「火」を盗み出して与えたが、人類はその火を生きるためだけでなく戦いに用いていくこととなったという神話からとった題で、内容は原発のことである。

  今回、教育とは関係ないが、映画を見てあまりにもタイムリーだったので、そのことを書きたいと思う。

  映画の題は「猿の惑星」。映画は、地球が、なぜ猿の支配する星になっていったかという物語である。

  あまり内容を詳しくは書かないが、人間には手に負えないことを、父親のために何とかしようと研究者が作り上げたものが、人間に牙を剥き、人間を滅亡へと導いてゆく。研究者のつくったものは、人間には制御できない。映画の中で研究者の恋人が何度も言う。「人間には限界があると思う。」しかし、研究者は聞き入れない。しかも、それが儲かることを知った男が、ようやく危険を知った研究者の制止を聞かず、大量生産する。  今日も新聞には、福島原発で臨界かなどどいう記事が載っているが、本当だとしたら大変なことである。地震があって、危険なことがみんなにわかったはずなのに、それでも、原発に頼るのか。人間は、自分たちで制御できないものを使うべきではないのである。少し不便な生活になっても、原発は、なくしてゆくべきである。ドイツなどにできることが、なぜ、日本では出来ないのかということが情けない。

  猿の支配する惑星になったのは、猿との戦いに負けたからではなく、人間の自滅であったというのが、あまりにもタイムリーではないか?プロメテウスからもらった「火」はついに原子の火となる。これから、人間はどこへ行くのだろう。自滅を防ぐため、地球の未来の為にも何とかしなくてはと思う、考えさせられる映画であった。勿論、映画の出来はすばらしく、感動的なので、この点でもオススメ!

                                                          河内 愛子

2011年11月 8日 (火)

【立ち読み】早蕨10月号② 「キュウリの一本漬け」は、いかに?

  10月号は、文化祭の季節。各地からの報告満載号です。
 まずは私立高校の若手・Yさんの「一本漬け」です。
                                                                               
                                                                  Y(私立高校)
                                                                               
(前略)
文化祭の企画決めは6月末から始まりました。LHRの前にどのように進めていくか、委員長と相談をしながら慎重に決めようとしました。しかし、数名のやんちゃ男子が、おっとり委員長にとってかわり、結局どこからともなく降ってわいた「キュウリの一本漬け」の販売という案がぼんやりと決まりました。実際、一本漬けに決まったあとに、味付けはマヨネーズにケチャップなどの論議を行っていました。「漬け物やねんけど・・・」意気消沈しながら、そのことを先輩の先生に話すと、「この学校の農園でキュウリを栽培してはどうか」と提案してくれました。私は、目からウロコが落ちました。しかし、驚きと同時にとても希望が湧いてきました。なぜなら、種からキュウリを育てることができれば、種を植えたり水をやったり、雑草抜きをしたり、少しの作業ではありますが、やる気のない生徒でも文化祭企画に関われるのです。いける。本校ならではの企画、最後の文化祭にふさわしい企画だと思いました。

 農園の先生に早速聞きに走ります。「果たして今(7月上旬)からキュウリを育てて、9月末の文化祭に間に合うのか。」結果、キュウリは40日程度実をつけることがわかりました。しかし、収穫のピークを持ってこなければ売れるほどは採れないので、種を植える時期を慎重にしなければなりませんでした。委員長に話し、彼からクラスへ話をしてもらいました。本当にできるのかということもあり、反応はいまいちでしたし、私自身にも不安がありました。この段階で、委員長と相談し、彼の口からしっかりとした計画案を提示できていれば、生徒たちの不安を取り除けたし現実味を持たせることができたのではないかと思います。しかしテスト前や進路のこともあり、私自身に明確なヴィジョンが見えていない中でのスタートでした。それが仇となりました。水やり当番を終業式に発表しようとしていたのですが、式が台風のため式が中止となり、そのまま夏休みに突入してしまったのです。

(後略。「早蕨」10月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

2011年11月 6日 (日)

ブログいろいろ

30日に行われたシンポジウム「大阪の教育「不安」の声~教育基本条例案を「事実」をもとに考える~」についての紹介・感想報告いろいろです。

○「アシスタント」で奮闘いただいた小牧司法書士のブログ「ちょっと変わった司法書士の毎日」

http://blog.goo.ne.jp/k-mie_2006/

○シンポジストのお1人、羽田さんのブログ  「はねまるの羽頂天ブログΖ」

http://ameblo.jp/hadillac/entry-11064440638.html

 みなさん、ありがとうございます。

2011年11月 5日 (土)

【立ち読み】「早蕨」10月号① できました!

 お待たせしました!
 今回は若手のHさん担当の10月号。
 Hさんの編集後記(雑記帳)から。

(以下)

今回、初めて『早蕨』の編集をさせていただきました。編集方針が二転三転して、ご迷惑をおかけいたしました。「大阪府教育基本条例案」が動きだして情勢が刻々と変化しているので、それに伴って『早蕨』も変化したということで・・・教育研究者としても、教員養成に携わる者としても、大阪府立高校の一卒業生としても、この問題から目をそらさずに取り組んでいきたいと思います。

(H。「早蕨」10月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

2011年11月 4日 (金)

スウェーデンの労働者運動をもとに、「教育基本条例案を事実をもとに考える」シンポを振り返る③

  (つづきです)

  最後の③は、シンポジウムで、条例案が「議論を起こした」という肯定面を指摘する声に、「それは意図したことではなかった」「教育に刺激は向かない」という反論があったことが中心にあります。両者共に納得できる意見ですが、このままでは平行線をたどるように思いました。前者の声は、この条例の肯定面として位置づけられるのではなく、教育改革の進め方についての問題提起として位置づけることで生かされるだろうと思います。すなわち、今回のような、法的に穴の多い、慎重さを欠いた、強制的な提案に対して、関係者が正当に意見を表明し議論し意思決定していくというプロセスあるいは文化が、教育改革において用意されるべきではないかという提案です。その中にはもちろん、生徒会を通じた生徒からの意見、調査・研究ベースの提案もあってしかるべきだと思います。それを欠いているために、「料理に突然濃い醤油を入れて後戻りができないような」不安を煽る手法がまかり通るように思います。

  条例案の中身として教育への政治介入が論点になっていますが、ここでの指摘は少し違って、(教育に関わる)立法のプロセスに関する議論です。わたしは政治についてあまりよく分かっていませんが、立法段階に対話の契機が設定されているかどうかが気になります。
 
 スウェーデンの事例を見れば、教育改革の際には必ず特別審議会が設置され、研究調査を基礎に審議を行って改革の提案をし、それに対して関連各団体(生徒会、教員組合、労働市場の各種団体、保護者団体、地方自治体、学校など)の意見を収集する手続きが挟まれます。その意見を引き取って教育省が新たに改革構想を作り、国会に議案を出し、決議が行われます。そして教育改革は数年の試行期間を経て現実との調整を図りながら、本格実施に移されます。昨今の新自由主義化の中で(スウェーデンは北欧一、新自由主義化が進んでいます)、審議会における調査研究の希薄化、試行期間の短期化が指摘されていますが、すべての人が積極的に関わろうとする契機を改革のプロセスに用意するのは、民主的な改革のためでもあり、現実的で成功する改革を行うための戦略でもありました。

 対話の後に、教育現場が自発的に参加して改革を行わない限り、強制では教育改革は実現しないというのがスウェーデンで広く存在している思想です。ポジティブすぎるかもしれませんが、心配と不信を煽る条例案に対抗するために、安心な学校・教育・社会のあり方を具体的に示し、希望を広げていくことが必要だろうと思います。現場でそのための実践を積み重ねていらっしゃる教師の皆さんとは違う立場から、今の段階の自分ができることは、ともかくもアメリカとイギリス以外のオルタナティブを――追随するモデルとしてよりもむしろ自分の状態を照らし返す鏡としてではありますが――示すことなのだろうと思いました。

                          (おわり。H)

2011年11月 3日 (木)

スウェーデンの労働者運動をもとに、「教育基本条例案を事実をもとに考える」シンポを振り返る②

(つづきです。以下の3点についての言及です)

①教育の基本原理に関する問題:競争か共生か?
②教育の目的に関する問題:個人か社会か?
③法令の作成過程に関する問題:独裁か対話か?

  まず、①は、教育に競争と評価を強化するという中身の問題です。山下氏からの、「競争」の捉え方を変える必要があるという提起に深く頷きました。ランキングをつけて下位のものへの罰則を定めるのは、競争ではなく「辱め」に強調点があり、「差別」を作ることを目標にしているにすぎない。相互に伸ばしあうための競争こそが存在すべきである、という議論です。御意。私立学校の先生の「競争するために教師してるんじゃない」という言葉が切実に響きました。これを考えると、わたしたちは「競争」の意味、「テスト」の意味を作り変えていくべきなのだろうと思います。
      *「テスト」の意味の作り変えに関しては、スウェーデンのナショナル・テストを通して検討を行っています。そこでは、教員の評価力量をあげ、生徒と教師とのコミュニケーションツールとなるようなテストのあり方が模索されてきています。

  次に、②は、保護者の方を筆頭に「人材」という言葉への強い反発から着想しました。教育は誰のために行われるのかという議論です。

  (なお、余談ですが、私自身は、「人材」という言い方に対して以前ほど嫌悪感を持たなくなっています。それは感覚が麻痺したというよりも、この世界が全体として機能していること、それを形作る各物質・「材料」に対する敬意を持つようになり、自分がその中の一部であることを認めたという感じです。ものづくりやエコロジーを大切にしている人たちや、スウェーデンの生活の中でそのような感覚をもつようになりました。これは、「使い捨て」の世の中では持ちにくい感覚だろうと思います。)

  ここでは、社会や国のため、またはそれを牽引するエリート養成のための教育が強調されることに対し、藤田氏のように「それは弱者に冷たいのではないか」と問いかけ、羽田氏のように「子どもの目線で」反論し、すべての生徒のための教育を求めるという議論でした。フロアの高校生の、反対されても高校に行って意見を述べようとする姿、学生さんの「「先生」がいなくなる」という発言も印象的でした。強く共感し、広く声を上げていく大切さを思いました。

  ただしわたしは実のところ、エリート教育か底上げか、という議論の立て方では物足りない気がしています。その対立の本質は、社会を作っていくのは誰か、どのような将来の社会像を描くのか、という問いへの答えの違いにあるのではないでしょうか。社会は一部のエリートがデザインするのか、すべての人による議論で形作られていくのか。民主主義を基調とする国家であるならば、答えは明白です。

                                  (H。つづきます)
                 

2011年11月 2日 (水)

スウェーデンの労働者運動をもとに、「教育基本条例案を事実をもとに考える」シンポを振り返る①

 今回のシンポジウム、各大学から多くの教育研究者の方が参加されていました。
  スウェーデンの教育を研究されている若手研究者・Hさんからいただいた「振り返り」を許可いただき一挙掲載します。

<ここから>

シンポジウムはたくさんの興味深い意見、そのままの声が聞けて、とても面白かったです。
今回のような集会の意味を、次につなぎ、現実に反映させるために、現在の状況のどの部分に対して、どのような闘争をしていけるのか、ということを、私はずっと考えていました。論点の整理です。

 鏡として念頭にあったのは、スウェーデン19世紀末の労働者運動でした。
工業化で都市に労働者が集中し酷い生活を強いられたときに、彼らは階級闘争をしようとします。ただしその闘争は、階級間での争いではなく、階級を分断させている社会状況に対する戦いでした。それを乗り越えるために労働者たちは、学習サークルを作って読書をして自分たちの教養を育み、政治的な議論ができる市民になろうとします。上中流階級の文化を、自分たちの生活に照らして批判的に受容し、作り変えていったのです。もちろん、中流階級の側からも、国民統合を成し遂げるために労働者や農民の教養を育み政治的議論ができる市民を育てようという働きかけがあるのですが。そんな民衆が作った文化が土台になって、スウェーデンの生涯学習社会、協調と合意による社会は作られました。

わたしたちは(とくに研究者は)、批判と共に、いい社会を作っていくモデルを示し方向付けていく必要があると思います。北欧には、そのヒントがあります。あくまでもヒントですが。新自由主義の席巻の中で、最近の変容を見るとますます示唆ぶかいです。

そんなことを考えながら、シンポで整理できたのは3層の議論でした。
相互に関連はしますが、これらが混在しているために、議論が混沌とすることがあるように思います。内外教育(2011年10月25日)の広田照幸氏の整理と重なるところもありますが、少し視点が違うように思います。

①教育の基本原理に関する問題:競争か共生か?
②教育の目的に関する問題:個人か社会か?
③法令の作成過程に関する問題:独裁か対話か?

                           (H。つづきます)

2011年11月 1日 (火)

高校生にきかにゃあ!

30日の「教育基本条例を考える」シンポに参加してくれた高校生・Aくんからさっそくメールをいただきました。

 許可得たので、全文掲載します。

<以下>


おはようございます。
昨日は、とても素晴らしいシンポジウムに参加させていただきありがとうございました。

まさか、こんなに難しい内容だと思わず、全く勉強せずに参加してしまい、自分が恥ずかしくなりました。

そんな状態で参加したのですが、皆さんのわかりやすい話し方のおかげで、ほんの少しですが、理解でき勉強になりました。

本当に詳しいことは全然わかりませんが、私は今回の条例案には、賛同出来ないなとおもいました。

子どもたちには、子どもたちそれぞれのペースやできる事できない事があります。みんな能力やレベルがちがい、それぞれが自分のペースで自分なりに模索して日々の勉強や部活動をしています。

この条例では、その子どもたちそれぞれの能力を無視して、全員を同じラインに並べて、無理やりにトライアスロンをさせるようなものだとおもいました。

私は、教育とは、子どもたちがそれぞれ自分のレベルに合わせたものを受けれる環境でなければならないとおもうのです。

そして、それと並行して教師もそうだと思うのです。
教師も人であり、教育を受けてきた一人です。
教師になるまで、自分で自分のあったレベルに合わせて、自分なりのペースで頑張ってきたでしょう。
ということは、教育でも、個人のレベル、能力がちがい、それぞれのペースや能力にあわせて授業してるとおもうのです。

この条例がとおれば、子どもたちは、追い込まれ、保護者は、無意識の内に子どもに圧力をかけてしまうでしょう。
そして、その中で蹴落とされ、恥さらしかのように釣り上げられた子たちの中には、自殺してしまう子もいるでしょう。

教師もおなじく、プレッシャーと圧力に翻弄され、まともな教育がわからなくなるでしょう。
そして、教師すらも自殺者が増えるかもしれません。

この条例すべてが悪いとは思いません。

でも、人の人生。
人の命が関わってくる問題であり、危険が増加されるという意見があるものを、採用してほしくはないですし、そのような大阪になるくらいなら、私は大阪を出て行くつもりです。

子どもの事を本当に考えた教育実現されることを願います。

                           (大阪府立高校2年 A)

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