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2011年11月 3日 (木)

スウェーデンの労働者運動をもとに、「教育基本条例案を事実をもとに考える」シンポを振り返る②

(つづきです。以下の3点についての言及です)

①教育の基本原理に関する問題:競争か共生か?
②教育の目的に関する問題:個人か社会か?
③法令の作成過程に関する問題:独裁か対話か?

  まず、①は、教育に競争と評価を強化するという中身の問題です。山下氏からの、「競争」の捉え方を変える必要があるという提起に深く頷きました。ランキングをつけて下位のものへの罰則を定めるのは、競争ではなく「辱め」に強調点があり、「差別」を作ることを目標にしているにすぎない。相互に伸ばしあうための競争こそが存在すべきである、という議論です。御意。私立学校の先生の「競争するために教師してるんじゃない」という言葉が切実に響きました。これを考えると、わたしたちは「競争」の意味、「テスト」の意味を作り変えていくべきなのだろうと思います。
      *「テスト」の意味の作り変えに関しては、スウェーデンのナショナル・テストを通して検討を行っています。そこでは、教員の評価力量をあげ、生徒と教師とのコミュニケーションツールとなるようなテストのあり方が模索されてきています。

  次に、②は、保護者の方を筆頭に「人材」という言葉への強い反発から着想しました。教育は誰のために行われるのかという議論です。

  (なお、余談ですが、私自身は、「人材」という言い方に対して以前ほど嫌悪感を持たなくなっています。それは感覚が麻痺したというよりも、この世界が全体として機能していること、それを形作る各物質・「材料」に対する敬意を持つようになり、自分がその中の一部であることを認めたという感じです。ものづくりやエコロジーを大切にしている人たちや、スウェーデンの生活の中でそのような感覚をもつようになりました。これは、「使い捨て」の世の中では持ちにくい感覚だろうと思います。)

  ここでは、社会や国のため、またはそれを牽引するエリート養成のための教育が強調されることに対し、藤田氏のように「それは弱者に冷たいのではないか」と問いかけ、羽田氏のように「子どもの目線で」反論し、すべての生徒のための教育を求めるという議論でした。フロアの高校生の、反対されても高校に行って意見を述べようとする姿、学生さんの「「先生」がいなくなる」という発言も印象的でした。強く共感し、広く声を上げていく大切さを思いました。

  ただしわたしは実のところ、エリート教育か底上げか、という議論の立て方では物足りない気がしています。その対立の本質は、社会を作っていくのは誰か、どのような将来の社会像を描くのか、という問いへの答えの違いにあるのではないでしょうか。社会は一部のエリートがデザインするのか、すべての人による議論で形作られていくのか。民主主義を基調とする国家であるならば、答えは明白です。

                                  (H。つづきます)
                 

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