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2012年5月19日 (土)

【立ち読み】「早蕨」4月号⑭ 嵯峨山実践を振り返る①

今号では、 かつて全国大会でもレポートされた嵯峨山さんの自己総括文を一挙掲載。
  まずは冒頭部分を立ち読み。

<以下。前略>

卒業式を終え、家路についてほっとしている間に届いたメールである。二人のメールに共通しているのは「見捨てん」かったという部分である。3年前、普通コースの担任をしていた時の卒業文集を再度読んでみても「見捨てる」という表現はみない。この3年間でより一層「学校」が子どもたちを排除し、「見捨て」るようになってきたのではないかと危惧する。

後日、学校に来たM藤(5組)が、私の作ったクラスのビデオをHから見せてもらったらしく、「『学校が子どもを差別し、切り捨てる時代です』という言葉にもっとも共感した」といった。クラスのT、N、Yに「あなたたちは小中学校で見捨てられてたの?」と聞くと、異口同音「見捨てられていた」といった。「教育基本条例」なるものが通れば、より一層その流れは加速するだろう。その行きつく先はいったいどんな学校、社会なのだろうか。その根底に流れる思想は、「勉強はわからんものはわからんままで結構」「100人に1人でいい。やがて彼らが国を引っ張っていきます」「いずれ就学時に遺伝子検査をするようになる」という江崎玲於奈の発言、日経連の95年「新時代の『日本的経営』」を想起させる。

3月11日の大震災、その後の原発事故は、私たちに学校とはどんな場であるか、もっと言えば人間とはどんな存在であるかを問うた。私自身、卒業していく彼らにどんな力をつけさせていくか、考えさせられた1年だった。
                                                                               
(つづく。嵯峨山聖。「早蕨」4月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

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