「学校協議会」は「懲罰」機関なのか③
「学校協議会を考える」シンポを見に来てくれたAさんから、
「佐藤さんが、言ってたさんぽじうむのとりくみは十分理解できるけど、それは今回の「学校協議会」という枠組みでなくてもよいような気がする。でも、そんなめんどうくさいことを戦略的にやろうというのは誰なんだろう。ぼくは少なくとも今はそんな余裕はない」
と感想をいただきました。
対するサトウの応答です。
<以下>
Aさん、「学校協議会を考える」に来てくれてありがとう。
あの場で、ぼくは前任校で行っていた「N高さんぽじうむ(※生徒と保護者と教員有志が年に2,3度、イベントを一緒に行う)」を紹介しました。
そのうえで、「(協議会の設置理由が)学校運営に生徒や保護者の声を活かすためというのなら、協議会に生徒が委員の1人として入るのはOKか?」と確認しました。
(維新・紀田さんの答えは「可能」)
Aさんは、「「学校協議会」という枠組みでなくてもよいような気がする」と言ってるけど、ぼくは、Aさんも書いてる、「ぼくは少なくとも今はそんな余裕はない」がすべてだと思っています。
一番のネックは、残念ながら、「教師の多忙」。
北村年子さんに、「生徒が意見を述べる機関があるのは当たり前。参加不参加をここで議論してることが信じられない」と喝破されたけど、「多忙」を理由に、「人権侵害」が後回しにされている例は学校のなかにいろいろ見つかる。
こんな日々追いまくられている毎日、「さあ、生徒と保護者と教師一緒に語れる機関をつくろう」と言ってもなかなかできない。
「子どもの権利条約」が批准されて8年たったけど、この条約によって、どれだけの学校が子どもたちの意見表明権をかなえる組織をつくることができただろう。
「開かれた学校」の交流会は何年も行われているが、残念ながら、「それは特別な学校の集まりよね」が現状だ。
ぼくは前任校に19年在籍し、なおかつ生徒会主担のポジションに3年間居れたから、上記の組織づくりに関われた。
でもいまの学校に7年いても、まだそんな協議機関はつくられていない。
カベはやっぱり教師の「多忙」。
いまの「いっぱいいっぱい」の先生たち相手に、「新しくこんなことやろうよ」を言い出してもなかなか多数意見にするのは難しい。
「シゴトを増やすな!」光線があちこちから突き刺さる。
でも、学校って、「上からおしつけられたこと」に対して、「このままだと悪くなるから、現場で何とかいいものに変えていこうよ」のアプローチなら、今までも受け容れられてきたことがいろいろある。
うまく作りかえてきた実績がある。
「現代社会の授業」しかり、「総合的な学習の時間」しかり。
「協議会をつくらなアカンと決まった。このままでは、外部からの監視・懲罰機関になってタイヘンになるぞ。どうせつくらにゃならないなら換骨奪胎しようよ。生徒と保護者、教師、地域応援団が集って学校運営できる組織にしようよ」なら、受け容れられる可能性もあるんじゃないかと思っています。
学校が外に「開かれる」ことを嫌う体質はそのとおりで、それが生徒の人権を奪う一因であるのも確か。
「不完全な学校協議会をつくらない」選択肢があるのならそれでいいけど、現状では、「うまく使えてないからもっと過激なものに」とされる危険性がある。
ならば逆手にとることも本気で考えたらどうかと思い、先日のイベントを企画しました。
今後ともいろいろアドバイス、ご意見よろしく。
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