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2013年3月22日 (金)

【立ち読み】「早蕨」2月号⑦ 特集 市立高校における体罰事件から考える―暴力のない学校をつくるとは―④ 「体罰問題」を考える

特集 市立高校における体罰事件から考える―暴力のない学校をつくるとは―④ 「体罰問題」を考える

(前略)
  
<怖い思い出>
私は、小学2年生の時、担任の先生に頬を1度だけ叩かれたことがあります。理由は、チャイムの合図で直ぐに教室に戻らず、校庭で遊んでいたからでした。この時、ほとんどのクラスの子どもたちが、外で遊んでいました。そして、先生に怒られみんなでゾロゾロと教室に戻ると、「班長は、全員前に出て並べ!なぜ班長は、みんなに注意をしなかったんだ。連帯責任だ!!」と先生に怒鳴られ、端から順に平手打ちを受けました。あっという間の出来事でした。私の頬の内側は破け血が出ていました。

 あまりに突然のことだったので、私はその時涙も出ませんでしたが、家に帰ってからもジンジンと痛む頬を撫でながら、「チャイムですぐに教室へ入らなかったことは悪いことだけど、こんな風に叩かれなきゃいけないことなのかな?私は、先生の手先じゃない。班長がみんなの見張り番なんだったら、私は、班長なんてしたくないな…」というような思いが、ぐるぐると頭の中をずっと巡っていました。私は、この時から学校に対して違和感を抱くようになったのです。

 でも、こんな漠然とした違和感を持ちつつも、私はこの日の恐怖を忘れることができず、教師への絶対服従は私の身体に確実に浸透し、本当の自分をどこかに置いたまま、従順な子どもとしてずっと過ごしていました。でもこれは、成長するにつれ自己乖離を広げる大きな原因となっていきました。

 体罰は、人に恐怖心を植え付けるだけで、そこに指導も学びもありません。そこにあるのは、見せかけの頑張りと自己肯定できない偽りの自分に苦しむ子どもたち、或いは、考えることを既に諦めた空虚な子どもたちの姿だけなのだと、私は思うのです。

 何より、「体罰」は学校教育法により禁止されているのですから、このことを真摯に受け止め、「体罰」に頼らない指導を考えていくことが緊急課題となっているわけです。教育とは、指導とは…そして、学校・集団・リーダーといった、今当たり前にあるものを問い直すことが必要な気がします。それを考えようとしているのが「高生研」だと、私は思っています。

(後略。Mさん(保護者)。「早蕨」2月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

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