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2013年7月 4日 (木)

社会科教員と弁護士のコラボ授業③

    (つづきです)

社会科教員と弁護士のコラボ授業①
http://osaka-kouseiken.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-b0fa.html

社会科教員と弁護士のコラボ授業②
http://osaka-kouseiken.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-9b7a.html

 3日目の授業では、2大学、3名の研究者の方が弁護士さんとサトウとのコラボ授業(立憲主義)を見学に来られました。

 そのうちの1人、Kさんが授業後に送ってくださったメールは、今回の授業の根元を問う、大きな問題提起を含む内容でした。

<以下、許可得て転載>

(前略)さて、長くなってスミマセンがもう一つ考えたことがあります。憲法学の専門家には怒られるかも知れませんが、やはり私はどうも「個々の国民には憲法を守る義務はない」という結論に納得できないものが残りました。

 生徒の多くも、立憲主義を理解した上でもなお、国民にも憲法を守る義務がある、という見解をとっていたと思います。その感覚と、弁護士の「国民には義務はない」という見解とのギャップが、昨日の範囲では埋められなかったと思いました。生徒の中には「頑固オヤジ」的意見に拘っている人もいたかも知れませんが、「権力を縛るルール」であることを理解した上で、それを尊重し活用していく国民がいなければ「絵に描いた餅」になってしまう、という感覚の人もいたのではないかと思います。立憲主義を理解し擁護する立場に立った上でなお、国民と憲法の関係をより突っ込んで問うことが必要であるように思いました。そうでないと、「国民には守る義務はない」「じゃあ、憲法なんてあんまり関心持たなくてもいいのでは」となってしまわないでしょうか

 確かに99条には「国民」は明記されていませんが、この条文は「擁護尊重」する義務を定めているのであって、憲法そのものを「遵守」する義務が国務大臣等にのみある、と読むのにはいささか無理があるように思います。他方で第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と定められています(釈迦に説法ですが)。そのような観点からとらえれば、やはり国民にも憲法を守る義務は(広い意味で)あるのではないでしょうか。

 99条だけから「憲法を守るのは誰か」を考えるより、具体的な条文を網羅した上で、そもそも憲法には「個々の国民が破ることのできる規程」が全体としては少ない、という点をおさえるべきなのではないかと思います。

 しかし、個々の国民が破ることのできる規程が皆無というわけではありません。12条の「不断の努力」もそうですが、15条の投票の秘密の維持、18条の苦役の禁止、一連の自由権、両性の平等、保護する子女に普通教育を受けさせる義務、勤労・納税の義務等、間接的なものも直接的なものも含め、国民が憲法を守らなければ実現しない諸権利が3章には少なくないと思います。

 これは、現在の日本国憲法が、マグナ・カルタ以来の立憲主義的な要素(1章と4章以降)と、フランス革命時の人権宣言的な要素(3章)を併せ持っているために生じている事態かと思います(全くの独自見解に過ぎませんが。また、両者が全く異質なものだとも思っていません。ただ、3章についてはやはり「国家権力を縛る」だけではないと思います)。だから3章冒頭には「国民の不断の努力」が書かれているのではないでしょうか(ちなみに9条(=2章)はこのどちらに位置づけるべきものか…歴史的にはどちらでもないわけですが、理念的にはどちらでもあり得ると思います。かつて9条をより強める方向での改憲案が出されたことがありますが(1949年「公法研究会」の改憲草案)、そこには国民が個人として戦争に参加すること(傭兵など)も禁止する、という内容がありました。これなんかは、9条の平和主義は国民の行動をもある程度縛る、という発想ですね)。

 このように把握するならば、授業の「結論」として、「国民に憲法を守る義務はない」ということにはならないのではないか、と私は思います。立憲主義的な側面を充分に重視し、基本的には憲法というのは権力を縛るルールであって、それに最も従わなくてはいけないのは権力をもつ者である、ということを押さえた上で、加えて、立場の弱い人も含めて全ての人の基本的人権を守るためには、国民が基本的人権についてしっかり理解しており、それらを尊重する態度を有していることが必要だ、ということも同時に押さえる必要があるのではないか、と、そんなふうに考えました。

 立場の弱い人にとっては、個々の国民のふるまいもまた、人権を抑圧する権力的なものであり得る(私立学校を含めた学校の教師、保護者、企業経営者などがそうした「権力」の代表ですね)。そのような意味でやはり憲法は権力を縛るものなのだが、その権力から国民個々が除外されているわけではない、と私は考える次第です。(後略)

                         (サトウ)

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