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2013年12月 1日 (日)

【立ち読み】「早蕨」10月号⑭ 今こそ憲法を語り、学ぼう

   最近、大阪高生研が理論的側面でお世話になっている和歌山大学の越野章史さんが「憲法集会」にかかわって寄稿くださいました。

<以下・前略>

教師も共に学ぶ
 このように書くと、少なくない先生方が「そんなことを教えられるほど私自身が憲法について知らない」とおっしゃるのではないか、と思う(違ったら嬉しいのだが)。そうであって当然だと思う。はじめに書いた「憲法を知らない主権者」を育てる構造は、現在の大人たちが育つ過程でも存在していたのだから。

 日本国憲法が「占領軍の押しつけ憲法」であるという議論には与しないが、しかしやはり、日本の民衆がみずから苦闘の中で獲得したもの、と単純には言い難い側面が日本国憲法の成立の経緯にはある(自由民権運動や戦後の憲法に立脚したたたかいは、憲法を獲得するたたかいとして確かに存在しており、その意味で民衆が獲得してきた側面も決して皆無ではないが)。内容的には優れた憲法であっても、それをその国の主権者がどのくらい「自分のもの」としているか、という点では、日本国憲法はまだまだ未成熟であるように思う。憲法はその国の主権者に学ばれ、獲得されることによって強くなる。
 だからこそ、「(生徒に)教えられるほど知らない」ではなく、「共に学ぶなかで知っていく」という立場に立つことが、今教師に求められているのではないだろうか。

 原発事故の後、それまで原発について深刻に考えたことのなかった人も含め、「今、原発を語らないわけにはいかない」と感じた人は少なくなかったのではないか。その際、多くの先生方が、一方向的に「教える」のではなく、生徒と共に「学ぶ」というスタンスに立たれた(立たざるを得なかった)はずである。憲法の学習についても、同じ事が求められているだけではないだろうか。

 何より、すでに成人した人を含めて、憲法を学び続けること、憲法をより深く知る人が増えていき、理解が深まり広がっていくことこそが、民主的価値の実現の過程として世界史的に捉えられるのではないか。現代を代表するドイツの哲学者J. ハーバーマスは、次のように書いている。

「民主的法治国家の歴史上の実現には、私が重要と考える学習過程と諸経験がある。こうした学習過程は、こんにちも終わることがない。」(ハーバーマス『新たなる不透明性』松籟社, 1995年. p.152より、一部略記.)

 ここでハーバーマスは各国の憲法や人権宣言のうち、多くの国で共通する原則を、人類の道徳的合意の現時点における達成水準と見なし、それを人びとが学習し獲得し、さらに深めていくプロセスについて語っている。そこには、多くの国に共通する要素を備えた基本的人権規定をもち、人びとが権力を抑制しコントロールする装置である〈憲法〉を、単に過去に作られ完成されたもの(したがって古くなれば取り替えるべきもの)と捉えるのではなく、人びとの集合的な「学習」経験を通じて常に深化し続けるものと捉える視点がある。
 
(後略。 越野 章史。「早蕨」10月号。購読申し込みは、左記、「メール送信」へ)

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