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2014年7月11日 (金)

「ぴらいち」を考える②

Tさんからの問題提起です。

(「実践の分析」に際して。)実践とはこうあるべきという概念が既に大前提にあり、その切り口もある程度パターン化されており、ベテランはそれを見抜けるかどうかが自分のステータスのようになり、その権威をみせつけているようで何とも言えない嫌な空気を感じた。

実践の分析の目的は?
そもそも実践に正解なんてあるのだろうか?
子どもの成長とは何?
学校教育の意義は?

私は、学校は他者と出会うためにあるのだと思う。
それは、授業の内容も含めて、自分の知らない世界に出会えるところであり、それと同時に自分と向き合うところなのだと思う。

だから、学校生活の全てが生活指導につながるし、生活指導は規範を押し付けて、子どもを言うとおりに操ることではなく、ひたすら、「もの・こと・人」に出会わせることだと思う。

学校行事は、その仕掛けのひとつ(今やっと『装置』と言う言葉が理解できた…)なのだと思う。

だから、極端な話し、それは達成してもしなくてもいいのであり、スムーズに事が進まない方がそれはより学びの場として成熟しているのだと思う。
まとまらないのは、個が表出できているから。ここから始まらなくては他者とは出会えない。

だから、それを当たり前、必要な事と思えば若い先生達も自信が持てるのではないだろうか。

『問題がないことの方が大きな問題』

若い先生が研修会に参加しないのは、お金だけの問題ではなく、研修の内容とベテランがどういう姿勢で研修に参加しているか…つまり若い先生の話をしっかり聞いて、指導する(上から目線)のではなく、共に学ぶ姿勢があるかどうかだと思う。

『自分は正しい!!』と自身を疑わないベテランから押し付けられた指導に、拒否反応を示すのは当たり前。
むしろ、拒否反応を示すべきだと思う。

ベテランは、若手の反論余地をしっかり用意し、受け止め、対等に論議する余裕がないと、ベテランとは言えないと思う。
『けなし』の後には必ず反論・釈明をする時間が保障されていますか?
言われっ放しは、未消化のまま離れる原因にもなりかねないと思います。
言いたい放題ですみませんm(_ _)m

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