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2014年9月21日 (日)

全国大会後、私の「後泊」⑤

「えー!、折角来たのに、それはないやろ・・・」と落胆していると、犬の散歩で通
りかかった初老の女性が「どこから来なさった?大阪かあ。家族の方がおられるから声をかけて見学させてもらったらいいですよ」と教えて下さいました。


 生家前には長塚節の銅像がありました。門は書院を兼ねているようで長持も掛っています。門を抜け出ると大きな庭に堂々たる茅葺の家が聳えており、百坪の敷地にふさわしい豪農の家です。父祖代々このあたりの庄屋で父親は政治家でした。おそるおそるここだけアルミサッシになっている戸を開けると土間があり、台所で一人の眼鏡をかけて腰の曲がった老女が何か作業をしていました。「すみません」と2度ほど声をかけても聞こえていないようで、これはだいぶお年寄りで(一見80歳後半から90歳前)話が通じるかな、と一瞬思いましたが、3度目の「すみません」に漸く気づかれました。


 庭の方の戸が開いているのでそちらからどうぞ、と言われ一旦外に出て戸を開けよ
うとしましたが、閉まっています。「閉まってますか?では土間からお上がり下さ
い」の声が聞こえ、再びアルミサッシの戸を開けました。
 作業をしている姿はいかにもお年寄りでよぼよぼといった感じだったのですが、人に接したおばあさんの姿は別人のようでした。曲がっていたはずの腰がシャンとなっていました。「土間の天井をご覧ください。梁には松の大木が使われているのですが、先の関東大震災にも東日本大震災にも全く揺れもしませんでした。それぞれの木の癖をうまく組み合わせて釘1本使わずに、作ってあります。こちらの建物は慶応2年に建てられました」天井には奈良の大寺院を思わせる梁がありました。土間から応接間に入ると、そこには貴重な資料がズラリと並べてあります。教科書でよく見かける長塚節の写真の他にも文学好きには垂涎の品が所狭しと置いてあります。今にも節が部屋の向うから現れそうな雰囲気です。


 「掛け軸の書は藤田東湖によるものです。机と椅子は節が実際に使っていたものです。硯を置く所は水平に、その他の所はゆるやかな斜面にして執筆しやすいように特別誂えたものです。ガラスケースの中は直筆の原稿です。菅傘や脚絆、手甲、草鞋などは節が旅に使ったものです。欄間の彫刻も豪農にふさわしくかなりお金をかけて凝ったものです。障子戸の下にもXの字の細工がされていますが、これもかなり珍しいものです。大きな新聞の切り抜きは吉井勇が節について寄稿したものです。節は5人兄弟妹の長男でした。次男は東大に進み、正岡子規と野球をやっていたそうで、そのケースの中のは野球博物館にある次男の資料です。三男は陸軍士官学校へ行きました。2人とも戦死しました。節は今の水戸一高に進学したものの、体調がすぐれず中退しました。その後よく旅をしていたようです。許嫁の黒田てる子と縁談が成立したのに、病気のために婚約を解消しましたが、てる子さんは東京のお方なので、このような茨城の田舎に嫁がれてもやっていかれたかどうか(笑)。ただ、婚約が解消されて後は他の男性との縁談を頑なに拒まれたそうです。結局は秋田の方に嫁がれましたが・・・夏目漱石にも正岡子規にも可愛がられ、斎藤茂吉には指導する立場で、吉井勇とも親しくて、長く生きていたらいろんな足跡を残したでしょうに。農業肥料についての記録を残していますが、父が政治家で財産を使ってしまったので、竹を植えた
り作物を栽培してお金を得ようとした時期もあったようです。戦後の農地解放が大きかったですね。それ以降、土地が全くなくなり長塚の家も苦労しました。お写真はご自由にお撮り下さい」


(つづく。札埜和男)

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