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2014年9月 7日 (日)

全国大会後「私」の後泊③

「紬」と並んでもうひとつ、学び直すことができた対象があります。それは「親鸞聖
人」です。JR結城駅の名所案内を見ると「玉日姫の墓」とあり、パンフレットにも
載っています。「玉日姫?結城の殿様に関係するお姫様かな?」と思って観光ボランティアの方に尋ねると、親鸞聖人の妻でした。関白九条氏の娘で親鸞聖人の関東配流とともにやってきて、常陸の地を拠点として布教する親鸞を支えた女性です。僕の母校は浄土真宗系の高校で、授業で「宗教」の時間があり、3年生の時の教科書が『親鸞聖人の一生』でした。そこには親鸞聖人が関東に流された話が載っていました。余り熱心に聴いた授業ではなかったのですが、ボランティアの方の話を契機に、習った玉日姫が脳裏に蘇ってきました。「これは是非行かねば!」と思いました。


玉日姫の墓は結城城跡近くにありました。田園の中に一本の参道があり周囲を大木で囲われた地に立派なそのお墓はありました。玉日姫は親鸞が赦されて京都に戻ることになっても、関東の布教や熱心な信者のためにこの結城の地に残ったのです(ただ玉日姫については伝説がいろいろあり、京都にも墓があります)。60を越えていた親鸞とは今生の別れになったに違いありません。結城小学校の脇には「袖切橋」という橋がありました。京都に帰る親鸞との別れを悲しんだある女の子が去りゆく親鸞の袖をつかんで離さなかったために、この橋の上で親鸞の袖が千切れたという話が残っています。結城の地に残った玉日姫には揺るぎない覚悟があったのでしょう。一方で、この伝説が示すように、親鸞との別れは悲しみに満ちたものであったことに違いありません。          


高校時代、宗教の時間で学んだ親鸞聖人関東布教の逸話は単なる知識でしかありませんでした。けれど別の目当てで訪れた結城の地が親鸞聖人縁の地であることを知り、玉日姫の墓の前で佇む時間を得ることで、その知識は立体化しました。親鸞聖人のことを教わってから34年、漸くその学びは体験と結びついて、僕の中で意味を持つ知識となったのです。


(札埜和男。つづく)

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